家族ってなんだろう(10)ー祖母のことと、今の父のことー


ここで、少し時間が戻るが、祖母の話をしようと思う。

祖母は私が小学3年生になるときに、(我々が狭い団地に引っ越したため)母の兄の家に引き取られた。
伯父家族には、私でもビビる怖いオバと私の従兄弟にあたる男子がひとりいた。
3人家族には十分な広さの一軒家に住んでいた。
祖父の残した遺産のお陰なのだから、祖母は堂々と同居すれば良かったのだが、物言いのキツい嫁とは、なかなか折り合いよくはいかなかったようだった。

息子というものは、母親に対して優しくするよりは嫁のご機嫌を取るもので、孫にあたる従兄弟は祖母の話し相手になるとも思えず、祖母はひとりできっと寂しい日々を送っていたに違いない。
もともと大人しくて優しい人だった祖母だが、嫁との衝突に愚痴も言いたかったのではないかと思う

が、娘である母もその妹も、長兄の家に祖母を訪ねることはなかった。

それまで同居していた私たち家族が、祖母のところに招かれることなど1度もなかった。

そんな中、祖母は少し認知症が始まったらしい。
まだ60代後半だったから、それほど酷いはずはないのだが、嫁の大袈裟な報告により、祖母は施設に送り込まれることとなった。

母は祖母をなんとか引き取りたかったようだったが、何しろ、我が家は狭い団地なのに父の親戚が2名も同居していたのだから、それ以上の人員は無理だった。母から横浜にいる妹にも頼んだそうだが、叔母は汚い老人が嫌いで断ってきたという。

当時、老人施設に入れるのは非常に後ろめたいことだった。
祖母が老人施設に入ったことは、誰にも言わないよう私にまで箝口令が敷かれた。

そんなだったから、家族で祖母の施設を訪問することなど1度もなかった。
母がひとりでこっそり行くことすら、父は嫌っていた。
私は小学生ながら、ひとりで電車の乗り換えを教えてもらって訪問したことがあった。
祖母は、いつもと変わらぬ笑顔で私を迎えてくれ、老人施設での生活の様子をたくさん話して楽しそうだった。
食堂に連れて行き、自分の孫だと自慢げに紹介する祖母に認知症の影など見えなかった。

それから、どのくらい経った頃だったか、祖母は施設の自室で転んで大腿骨を骨折して入院した。
当時は、大腿骨骨折は寝たきりを意味していた。
その病院に私が見舞いに行ったことはない。
普通なら、あれだけ世話になった祖母の入院に際し、家族でお見舞いに行くものと思うが、母がこっそり行っただけで、あとは誰も行かなかった。

そのまま祖母は老衰で亡くなった。
72歳で老衰という言われ方だった。

祖母は実業家の家の3姉妹の長女として生まれた。
造り酒屋の祖父、実業家であり衆議院議員を務めた父という名家に育った祖母は、子供の頃から何不自由なく育てられた。
成人すると婿養子を迎え、何人もの住み込み家政婦を置き、奥様として家の庭を見て暮らすような優雅な日々を送った。
家事一切を女中たちに任せ、子育ては乳母に任せて祖母は何もしなかったが、それが許される環境にあり平和で幸せな人生を送っていた。

婿養子に入った(私の)祖父は、企業弁護士をしていた。
都心にかなりの土地を所有していたが、戦争でほとんどを失い、祖父が病死すると相続ができずに祖母の暮らしは傾いた。

晩年の祖母は、娘も孫も訪ねてくれない施設で静かに過ごし、骨折で入院してからも母以外の誰も見舞いに行かない中、ひっそりと生涯を閉じた。

私は生まれた時から7、8年は祖母のいる暮らしだったが、祖母と別れてからは、ほとんど会えないままだった。

家族とは小さな核なのだと認識し、私自身も自分が結婚して新しい家族を作れば、親とは別れられるものだとぼんやり考えていた。

親と縁を切れるものなら、誰と結婚をしても良いと思ったのがいつ頃からだったか覚えていないが、父に干渉されず怒られない方法としては、私が結婚することしか思い浮かばなかったのは、比較的若い頃からだったのような気がする。





今、私の父は施設にいる。介護付き優良老人住宅というもので、認知症もなく自立している人だけが入れる終の住処だ。

そこに入るまで、私が通って世話をした何年かがあり、その後、妹がさんざん呼びつけられ、ヘルパーさんの手助けもあってひとりで暮らしてきた。
施設入所に当たっては妹がなんでもやってくれて、父は幸せ者だと思う。

自分が自分の親に対しても母の親に対しても何もやってこなかったのに、自分は手厚くしてもらえるのだから、こんなありがたいことはないだろうと思う。

それでも父がそういうことを当たり前と思い、感謝もしていなかったことは悲しい。
感謝どころか、高齢の父親を置いて中国にいる我々をなじっていた。

中国からの連休利用で帰国した貴重な時間を割いて、私たち家族が訪問した1年前の2月、父は会った瞬間からずっと激怒しっぱなしだった。
私の息子オダギリは、それまでも孫の代表として父のところには通ってくれていたが、そのオダギリを罵倒し、さんざん怒鳴り散らしたことは許せない。

だから、あれ以来、私の家族は誰も父と連絡すらとっていない。

それでも私が全く気にしていないか、といえば、否。
しょっちゅう、私は父のことを考えている。
自分が酷い娘なのではないかと責めることもあれば、父がどれほど寂しく思っているかを案じている
こうなってしまったのは、父自身が撒いた種であり、私が気にすべきことではないと妹に言われても、気にならないわけはない。

父方の従兄から、
「叔父さんが寂しくしてるよ」
と言われる。
従兄が直接オダギリと連絡を取って
「一緒に行こう」
と言われたりするが、私もオダギリも父を(祖父を)許すことができていない。

従兄に伝えた。
「母方の祖母が施設に入ったとき、家族で訪問したことは1度もないです。祖母は寂しかったでしょうね。」

怒鳴らないなら、私たちは100歩譲って、表面だけでも友好的な関係を作ることはできる。
でも、休日に時間を割いて、せっかく行っても大声で怒鳴られるのは、決して気分の良いものではないこと、しかも自分の勘違いや思い込みで怒鳴っているのでは、どうしようもないことなどを従兄に伝えた。
従兄が、私の子供の頃からの家庭内のことをどこまで知っているかわからないが、
「私は、普通の家に生まれたかった」
と、言って、今後このことで連絡しないでほしいことを伝えた。


父が、私の祖母に対して、何をしてきたか、何もしてこなかったか、ということを振り返っているとは思えないけれど、ブーメランになって戻ってきたということなのだと気付いてくれればと思う。

私は、父に対して、そんな仕打ちをするつもりはなかった。
だから、怒鳴られても怒鳴られても耐えて、ずーっと父や母の面倒を見てきた。
子供の頃からの理不尽な怒られ方に文句も言わず、黙って年老いた父の世話をしてきた。

そこのどれ一つにも感謝をせず、当たり前以上の「できそこない」という意思表示ばかりで、最後は孫まで傷つけた罵声を浴びせたこと、私の家族みんなを傷つけたこと、これは許せない。

祖母は、いつも穏やかに感謝の言葉を忘れない人だった。
父は、いつも怖かった。

今の私は自分が高齢の域に入っていることもあり、自分の行く末のことが一番の懸案事項で、残念ながら、もう父の怒声に耐えるパワーは残っていない。

必然のブーメランをどうぞ受けてください、と思っている。

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