思い違いを正すこと

前記事」からの続きになります。

  引き続き面白くもない「ひとりごと」です。
 



 今の私がすべきことは、様々な思い違いを正すことなのだと気付きました。

 私が過去の駐在経験で身につけてしまった「勘違いと思い違い」を、ここで正さねばならないことに気付きました。

 大きな会社に在籍していた頃の夫の海外赴任と、現在の海外現地採用との扱いの違いに気付かねばならなかったのに、そこまで気が回っていませんでした。

 何万人という社員のいる一部上場企業では、海外赴任する本人と家族向けの手続き業務を担当する部署が社内にありました。

 1980年代に海外に出る人は、まだ今よりも少なく、今以上に特別待遇の恩恵に預かりました。

 香港に出るまでの私は、会社の研修に通ったり、会社が費用を払ってくれる一般のスクールに1ヶ月も通いました。日本の歴史、英語、マナー、料理までカリキュラムは多様でした。たぶん、同行妻ひとりに対して、会社は何十万も出費してくれていました。

 支度金も提供され、単身赴任の奥様にも10万円が出ていた時代です。(あの奥様、自分のコートを買おうって言ってましたっけ。。笑)

とくに夫の会社は、同業関係の中でも飛ぶ鳥落とす勢いの波に乗った頂点くらいにあったので、よけいに手厚いケアをしていただけました。(その後、右肩下がり・・・苦笑)

 夫が先に出向し現地で住まいを決めるまで、日本の妻はスクールに通って勉強を重ねるわけです。(楽しかったです。)

 2ヶ月後に妻が出発する時も、夫の時と同様に、自宅までハイヤーが迎えに来て成田まで連れて行ってくれるというVIP待遇でした。

 当時の海外赴任は花形でもあったようです。しかも20代で出ることは稀なことでした。

 そんなこんなで、私は、かなりの勘違いをしていたと思われます。


 ソウル時代も、社内の国際事業部の方に子供のことまでフォローしてもらえて、私は流れに乗るだけで何もしてきませんでした。

 もちろんあの時も、私たち家族が出発の日にハイヤーが実家まで迎えに来てくれて成田に向かいました。
高速の渋滞の中で、息子が「おしっこ」と言った時も、ハイヤーの運転手様は苦笑いしながらも避難場所に止めて用足しをお手伝いくださいましたっけ。(感謝)


 ソウルでは日本人学校の保護者会のたびに、カンパニーカーを出してくれました。
日本の本社からは、日本食の配送サービスが年に何度かありました。

 ソウル時代のビザ更新は、ソウルから香港に出て、何日間かをハイクラスのホテルで過ごすという待遇でした。もちろん、私自身が面倒な手続きをする必要もなく、ただやらねばならないのは指紋を取られることだけだったと記憶しています。


 
 組織がしっかりした大規模会社での海外駐在と、今の夫の再就職先では全く違うのだということ、私が認識していなかったことを今更ですが気付いたという次第です。

 夫の再就職は日本の会社ですが、夫の過去の仕事経験上、中国や香港に強いということで深センでの採用でした。
今までいた会社と関係はあるものの、規模は比べ物にならないほどの小さな会社です。

 当然のことながら、同行妻への研修などもありませんし、もちろんハイヤーもありません。航空チケットも夫が自分で取ってくれたものでした。

 深センに来てから、会社のウェルカム食事会が開かれることもなく、パーティーに夫婦で出るような機会もありません。カンパニーカーの運転手さんに「奥様」と呼ばれることもないどころか、カンパニーカーなんて使ったことありません。

 会社の方とのつきあいがないことは私には好都合で、ひとりの自由さを味わっているという点では、以前の大きな会社よりも楽チンです。

 ただ、ここで私は大きな思い違いを是正する必要があったのに、頭の錆びついたババアなものですから、いつまでも大会社の奥様気取りで、今になって、やっと自分の立場を理解したというか間違いに気付いたところです。

 いやはや、アホとしか言いようがありません。

 こんな小さな会社では、準備段階から自分で調べて全ての書類を自分で用意すべきだったのでしょう。

 深センでもきちんとした会社では、奥さん自身が何もしなくても手続きをしてくれるところは、もちろんあります。むしろ、その方が多いでしょう。

 夫の再就職先について、私はあまりに何も知らなすぎです。実は、会社名もよくわかっていませんでした。日本語名は知っていましたが、英語名なんて、よくわかっていなかったです。つい最近、知りましたけど。

 夫は仕事をする中で、大きな会社との違いを肌で感じていると思いますが、私は妻として同行するだけで勘違いしたままに5年を過ごしてきてしまいました。


 そもそも会社には、海外赴任の同行妻に対する手続き等の業務を担当する人などいないということ、今になってようやく知りました。

 日本語のできる事務職の女子が、(もう、あの枕詞はつけませんけど、あの女子です。笑) 傍の仕事として私の手続きの準備などを手伝ってくれているだけなのだということの認識が足りていませんでした。

 つまりは、今までの海外赴任と違い、すべてを自分でしなければならないという基本の考えに私は気付いていませんでした。

 すべては私がいけないという結論です。

 20代、30代、40代を優遇された海外生活をし、50代は夫の単身赴任で日本と香港を行き来して、

 60代にして(冷遇)深センです。

 これだけ海外経験をしていながら、自分で手続きをしなければならないことは初めてで、そういうことに今気づいた馬鹿さ加減ですが、気付いたところで、お手上げ状態なのは何も変わっていません。

 相当にメンタルに突き刺さる居留許可申請の却下と、昨日の香港でのビザ取得失敗でした。




 思い違いに気付きもせずに、この年齢まで

 のほほ~んと生きてきたから、

 思いっきり

 「ボーッと生きてんじゃねえよ!!」

と、叱られている感じです。


  yu_mamaは 永遠の5歳だから、わかんな~~~~い。
 

この記事へのコメント

2019年05月03日 17:00
はい、あの良き時代はそうでした。
私、営業社員としましてはご家族の渡航手続きにも一日中
お供させていただきました。いたれりつくせりの時代でした。
ご家族はただ赴任先へ行くだけ。準備はすべて
旅行会社がさせていただきました。
移動の足はすべてタクシーでした。
手数料はしっかりと会社様からいただけましたし。
その時代の経験をされてしまうと、自分で手配することなど
思いもよらなかったことでしょう。
いい時代を経験した方のお気の毒です。
今は経費の節減もあり、なんでも個人でする時代になっています。
しかし、この手続きは個人ではちょっと大変でしたね。。

yu_mamaさんストレスとお疲れのようですね。
どうぞお体をお大事になさってください。
カラス
2019年05月03日 17:26
  ლ(ಠ_ಠ ლ) もういちど、旦那さまと一緒に手続きしてみましょう。
  きっと、ダイジョウブ。。。。。カモ
2019年05月03日 21:59
やっぱりyu_mamaさんですね、すっかり立ち直りました。やはりあなたは凄いですよ、なかなかこういう風に自分を見つめられる女性は少ないと思います。
また新しい発見があるでしょう、自分で全部やってみるわよ!でぶつかって行きましょう
yu_mama
2019年05月04日 00:55
麦さま
そうですよね、あの時代は大名行列みたいな、お殿様というか、海外赴任は丁重に扱われていました。空港での見送りとか、Tーキャットで万歳とか。

あの頃の海外転勤を経験しているもので、なんでもやってもらって当たり前と思っていたことを夫婦揃って反省しております。

結局、香港でS1ビザを取得することは、これ以上、確実な方法が思い当たらないので、日本に帰って自分でやってこようかな~と思い始めています。

かなり参っています。食事がまともにできないというのか、今朝は軟口蓋が腫れて痛くてビックリしました。柔らかくて刺激の少ないものを食べております。

ご心配をいただきまして、ありがとうございます。
そういう応援が何よりの励みです。

すぐに完全復活いたします。大丈夫です!私は!!
yu_mama
2019年05月04日 00:57
カラスさま
業者に相談はしていたものの、書類を作ったのは夫です。前日の夜も遅くまで書面を確認し、原本とコピーなど付箋でわかりやすくして、英文翻訳の間違いまで見つけて訂正してもらったのも夫です。業者は全くアテにならなかったということです。

夫と二人三脚で頑張ります。
yu_mama
2019年05月04日 01:01
サヤ侍さま
書いているうちに頭が整理され、思いついたりスッキリしてくるのですよね。
それに付き合わされている皆様には申し訳ないと思いつつ、反応があることはとても励みになります。いつもありがとうございます。

日本に帰って、最初から自分できちんと書類を揃えようと思っています。
これで、この道のプロになれるかもしれませんし~(笑)

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