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zoom RSS 1980年代 香港(13)ートイレ編ー

<<   作成日時 : 2018/06/12 10:15   >>

驚いた ブログ気持玉 15 / トラックバック 0 / コメント 10

 当時の深センのトイレ事情については、「ー深セン編ー」で記載しましたが、1980年代の香港トイレ事情も、それはそれは酷いものでした。
もっとも、男女別のトイレ表示はありますし、便器も設置されていましたから、深センの川タイプよりは随分と使い勝手はよかったと言えます。

 私が着任した年は、水不足が深刻でした。

 1日に 数時間の断水が続きました。 朝10時から夕方4時まで断水ということが何ヶ月も続きました。

 それだから、、ということもあったかもしれませんが、そもそもの下水状態がよくなかったようです。

 トイレが詰まっている状態なのは、日常的にありました。

 私たち日本人の想像を超えた惨状がトイレにありました。

 だから、私は外出時にトイレには、滅多なことでは行きませんでした。

 当時、九龍半島のチムサーチョイという繁華街に、伊勢丹が出店していました。シェラトンホテルの入り口にあたる部分と、その地下だけの狭い空間でした。(現在、SOGOの入っているところです)
取り扱っているのは、主にお土産品ですから、日常の我々の生活には何の役にも立ちません。

 日本から友達が子連れで遊びにきた時、必ず困ったのがトイレでした。
 歩いている途中で、いきなり
  「オシッコ」
と言い出すのが子供です。
友達も私も、伊勢丹なら日本のデパートの名前がついているので、少しはトイレがマシなのではないか!?と、期待していましたが、とんでもなかったです。あまりの酷さに青ざめました。

 
 当時のトイレットペーパーは、なぜかよくわかりませんが、濃いピンク色の分厚い紙が主流でした。

 洋式トイレが5個くらい並ぶ伊勢丹でしたが、そのどこの扉を開けても、ピンクの紙が山のように便器の中に積まれた状態でした。便座には足跡がいっぱいついていて、床はなんの水やら、、、びしょびしょでした。

 もちろんニオイも酷いものでした。

 小さな子を連れている友達はショックのあまり、子供を抱えて逃げ出し、泣きそうでした。

 「伊勢丹で、こんななの!?」と。

 トイレが詰まったままの状態で、次々と人が用足しをしているとしか思えない状態で放置されているトイレというのは、伊勢丹に限らず、当時のショッピングモールなど、あちこちで同じ状況でした。

  今の香港は、日本並みに綺麗なところが多くあります。今の香港や深センしか知らない方にとっては、想像もできないことでしょうが、今の深センより、もっと劣悪なトイレだったことは間違いありません。

 ただ、ホテルや、ハイブランドショップがあるような一部のショッピングモールのトイレには、掃除のおばさんがいましたので、ここまで酷いことはありませんでした。

 そのようなトイレはチップを支払わなければなりませんでしたから、小銭を確認してからトイレに入らねばなりません。

 一応、掃除はしているようでしたが、床が濡れているとか、紙の質が悪いのは、我慢しなければなりませんでした。
水量が弱いことも事前に知っておく必要がありました。

 とくに断水期は、トイレ入り口に用意された大きなドラム缶のようなものに汲み置かれた水を洗面器ですくって、自分で流さねばなりませんでした。

 普通のレストランは、店内にトイレがついていません。店外の共同のトイレを利用するしかありません。

 やはり、相当な汚れ方をしているもので、覚悟が必要です。

 トイレの個室ドアは、足元が大きく開いているタイプで、西部劇で出てくるような木製のブラインドのように、中から外の様子が見えるところも多くありました。

 その個室ドアの真ん前に人が立って待っています。今のようなフォーク並びなど知りませんから、ドアの真ん前でぴったりドアに張り付くように待たれます。 その姿が個室内から見えますので、なんとも落ち着きません。

 足元も子供なら、するりと入ってこられるほど、床から開いています。

 ドア前で待っていないと、他の人に横取りされますので、ちょっとしたサバイバルでもあります。

 滅多に入らないとはいえ、滅多には利用するわけで、そのたび、落ち着かない空間でバタバタと慌ただしいことこの上ないです。

 
 ドアの下が空いているだけでなく、上側も低いこともあり、人の頭が見えています。

 隣との境界も、低めの設計ですから、バスケットボールの選手でも来たら、どうしよう!?と、不安は無限大でした。

 

 当時の若い私には、トイレ問題だけは、なんともクリアし難い悩ましいことでした。

 Y夫人に最初に教わったことの一つが、トイレの利用法でした。

 「便座の上に土足で乗るのよ!」

  不安定なんですよ、あの方法。
無駄に背の高い私が、丈の低いドアの内側で、
"どっこいしょ"と便座の上に土足で乗るというのも、「はばかり」だけに憚られ・・・・笑
      (注:「はばかり」という言葉、もう現代では使われないですね。トイレのことです。)

 結局、私のスタイルは「エア・トイレ」です。 詳細は割愛いたしますが、要するに、 トイレにまるで座っているかのような格好を保ちながら、実は、どこにも触れない究極の中腰スタイルです。

 私は、今でもそれができます。

 私の特技と言えます!!

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コメント(10件)

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(‘д’|l!)ぁ゙…

上記のキモチ玉では足りません。
なぁんつーか。困りました。
災害時には、現代日本においても、そうなります。
カラス
2018/06/12 11:53
yu_mamaさん工夫のスタイル、日本でも半世紀前の農村なら、ポピュラーだったのでは??? もちろん、小の方ですが。
1986年のNY郊外の「古民家村」のような施設のトイレでも、扉の上下が広く開いていました。治安維持のためと聞いたことがあり、その時は納得しました。驚いたのは、中にいた男性のスタイル。ほぼスネから下が外から見えるのですが、下ろしたズボンが、床の上に直に、足首の辺りに無造作に堆積??? 床は綺麗だったのですが、カルチャーショックを受けました。トイレとか、食事などは地域による差が大きいのでしょうね。水を入れた缶詰のカンがあるトイレに入ったこともあります。

2018/06/12 19:53
カラスさま
ぁぁぁ......

そういうことですね。
なるほど。。。。私は対応能力がありそうです。
yu_mama
2018/06/13 00:30
kさま
日本の半世紀前の農村・・・そうなのですか〜〜〜。

治安のためにドアが小ぶりなのですか。なるほど。香港は英国領でしたから、洋式便器の設置は早かったのだと思います。あの上下の空いているブラインド風のドアも、英国仕様なのかしら。

衛生観念は、国民性でしょうかね〜。日本人は綺麗好きなのだと思います。
現在の中国で、どこでも床に平気でバッグを置く中国人は多いのですが、それを食事のテーブルにも乗せますからね。 地下鉄やバスで、子供が靴を履いたまま座面に立つというのも普通にありますし・・・。
公共の場所にあるゴミ箱の上に、子供を抱えてオシッコさせちゃうっていう光景は、見ていてゾーーッとします。

水を入れた缶詰のあるトイレ!? どんなんでしょう???
yu_mama
2018/06/13 00:42
私は 海外生活したことがないので、とっても興味深かったです(笑
文字だけでも 耐えられそうにありませんわ〜yumama よく がんばったのですね

阪神淡路大震災から1ヶ月後でしたが 三ノ宮駅前に設置された 仮設トイレに入りましたが、問題なく清潔と秩序(?)が保たれていました。
三ノ宮経由で梅田(大阪)に行ったのですが(震災のとき 失くしたコンタクトレンズをつくりに)梅田を歩く女性がハイヒールをはいていて、震災などなかったような 佇まいに違和感を覚えました
南海地震が30年以内に70%の確率〜どうなるのでしょうね
どりばる
2018/06/14 21:49
どりばるさま
日本は、どこの国よりもトイレが綺麗というのはありますが、使い方が良いのだと思います。最近の深センのトイレは、ずいぶん良くなっては来ているのですけど、使い方がよくないと思われる惨状を目にします。 
1980年代の香港は、本当に悲惨でした〜。文字だけでも、ノックアウトでしょ?

阪神大震災の時、そうでしたか〜。
南海地震もですが、千葉でプレートが動いていたというニュースもありましたね。
ハワイやグァテマラの噴火などを見ていますと、地球の怒りを感じてしまいます。環境破壊、温暖化を放っておいたら、バチが当たるぞ!と言われているような・・・。
なにかと怖いです。
yu_mama
2018/06/15 00:47
昨日の朝、通勤時間帯に 大阪を6弱の地震が襲いました
私のところも 5弱〜激しい揺れでした
心配していたら・・・まさに・・ですね
大阪の北摂では過去最高(計測してから)でして、
一日全ての鉄道がストップしたので、大変です
でも、日本人って ここが まだいいところかなと思うのですが 
秩序がありますね
日本列島 同じ 危うい箱舟に乗り合わせた日本人 外国人 力を合わせて生きる・・ですね
 
どりばる
2018/06/19 13:49
どりばるさま
本当に!!どりばるさんとのコメントで、地震のこと、怖いことなどをやりとりしていたら、ありましたね〜。ビックリでした。私もすぐにコメントのことを思い出しておりました。

どりばるさんのお宅のあたりも、相当な揺れだっただろうと想像しておりましたが、5弱は激しかったですね。東日本の時の我が家あたりがそのくらいでした。ガスがロックされましたから。

そして、同じことを思っておりました。日本人って、こういう時におとなしく秩序を守れるな〜って。私が知る限りの国におかれましては、、、きっと、言っても無駄なことでギャーギャー言いそうです。

それにしても、学校の塀によって命を亡くした少女は、かわいそうでなりません。あんな違法建築を40年もほったらかしてあったなんて。。。

まだ余震があると思います。どうぞお気をつけて。
yu_mama
2018/06/19 17:10
yumamaさん ありがとうございます
揺れた割には 被害はなかったです
ただ不思議なことが。
実は 実家が震源地に近くて、うちよりも激しい揺れだったようですが
幸い母も無事で元気です 

ただ 不思議なことが。
仏壇の横に 父の写真(ガラス入りのA4,サイズ)を立てかけてあったのですが
手前にはお供えものや、飾り物があるのですが なんと 父の写真だけが
<飛びました!>そして 畳の上に着地!

母を守ろうとしたのか はたまた 怖がりだった父は 自分だけ
逃げようとしたか・・・謎です(笑
どりばる
2018/06/20 10:46
どりばるさま
さすがは鉄骨住宅!!頑丈にできていますね。
お母様もご無事で何よりです。
お父様、う〜〜ん、逃げたかったのかも。

私の従姉が高槻ですから、どうなったかな〜と心配ですが、何しろ、メールとかラインのようなものに疎い年長者ゆえ、妹からの連絡がないところを見ると大丈夫なのかな〜と思っているところです。

日本列島、どこもかしこも安心はできませんね。福島、北海道でもあったようですし、、、
この先、どうなるのでしょう、と思ってしまいます。

忘れがちだった日頃の備えを、また見直すきっかけとしないといけませんね。
物資の流通は正常に戻りつつあるようですが、それでも、やはり火を使わずに水もあまり使わずに済むようなものが売り切れていると報道されていました。

常日頃から、非常時に備えなければいけない日本ですね。
yu_mama
2018/06/20 12:29

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