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家族ってなんだろう(最終章)ー答えが出ないー

いつも私の駄文長文をお読みくださっている皆様、ありがとうございます。 気持玉に励まされております。 自分の中でテーマの答えを見つけたくて、このシリーズを書いてきましたが、答えは見つかりませんでした。 いつまでも過去のことを振り返って、うだうだ言ってるんじゃないよ!と、自分で自分にツッコミを入れたくなります。 お読みくださ…
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家族ってなんだろう(17)ー母が亡くなってからー

2005年、母の最期の日(5/30)は、父と私たち姉妹と香港から帰国してきた夫とで看取った。 4日ほど前から危篤状態が続き、私たちは病院に泊まり込んだ。 母は2人部屋を一人で使っていたので、空いているベッドを父が使い、妹と私たちはエレベーター近くのベンチで寝た。 4日目の朝、息を引き取った。 その後、子供達や親戚の方々が病院…
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家族ってなんだろう(16)ー母の長い入院ー

母の最後の入院は2003年11月初めだった。 入院から2週間もしないうちに植物状態になり、そのまま意識は戻らずに1年7ヶ月ほどを病院で過ごし、2005年5月30日に亡くなった。 入院当初から、私が車で父を迎えに行き都心の病院まで一緒に通っていた。 毎日、慌ただしく最低限の家事をすると家を出た。 20分ほどで実家に着き、父…
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家族ってなんだろう(15)ー同居の破綻ー

北朝鮮の金日成が逝去したのでないかという噂がたち、韓国ソウルでは夜も軍事練習が行われるようになった時、 帯同家族への帰国勧告が出て、私たちは母子3人だけで帰国した。(1994年だったかと思う) 子供の学校編入の区切りとしてもちょうど良い3月に帰国すると、同居が始まった。 私は子供の転入手続きや通学準備を終えてから、仕事を探…
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家族ってなんだろう(14)ー母の病気と父

母は46歳の時(私が23歳)、山梨に父と二人で赴任し、そこで呼吸器の病気を発症した。 富士山5合目に行った時、酸素が少し薄いところでの息苦しさがいつまでも抜けないという自覚症状が最初だった。 東京の大きな病院で検査した結果、結核に似ている病気だが、結核とは違って人に移すことはない非定型抗酸菌症だということがわかった。 非定…
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家族ってなんだろう(13)ー24歳の誕生日から、結婚へー

私の若い頃、大学卒業後2年経った頃の24歳が適齢期という時代だった。 友人の半分ほどが24歳で結婚し、私は、その年だけで11回ほど結婚式に参列した。 私は独身で24歳の誕生日を迎えた。 その日、母がささやかながら祝いの手料理を用意してくれていた。 普段よりは、ちょっと豪華な食卓についた途端、 父が怖い顔して座るや否や、…
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家族ってなんだろう(12)ー23歳ー

私の大学卒業の頃、父は山梨に転勤になった。 両親が揃って山梨に行き、私は妹との二人暮らしになった。 あの時、家を出ていれば良かったと、今なら思う。 ピアノ教師とアルバイトだけでは、とてもひとりでアパートを借りて自立などできなかった。 それでもボンビーガールのように逞しく、ひとりで親の家から離れるべきだったと、今なら思う。…
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家族ってなんだろう(11)大学時代から卒業後

私が大学1年の時、うたごえ運動をするサークルに入り、週3回は活動で帰宅が8時を過ぎた。 当然、父は激怒した。門限を8時にされ、サークルを辞めるように言われた。 家が遠いのだから、7時までの活動に参加すれば、門限までに帰れない。 私はサークルを途中で抜けてダッシュで帰る努力をしながら、辞めることは選択肢になかった。 幸いな…
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家族ってなんだろう(10)ー祖母のことと、今の父のことー

ここで、少し時間が戻るが、祖母の話をしようと思う。 祖母は私が小学3年生になるときに、(我々が狭い団地に引っ越したため)母の兄の家に引き取られた。 伯父家族には、私でもビビる怖いオバと私の従兄弟にあたる男子がひとりいた。 3人家族には十分な広さの一軒家に住んでいた。 祖父の残した遺産のお陰なのだから、祖母は堂々と同居すれ…
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家族ってなんだろう?(9)ー私の変貌ー高校から大学へ

高校受験のための勉強をしていた頃、ラジオの深夜放送が流行していた。 中学が遠いので、朝は6時前に起きなければならないというのに、深夜1時からの放送を聞きながら勉強していた。 当時の私は睡眠時間も少なく、通学にも体力を奪われ、勉強をやってもやっても父から怒られ、学校にいる時だけが息抜きの場だった。 父が望む東大一直線の高校への受…
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家族ってなんだろう(8)ー中学時代ー

子供時代、私と妹の通う学校は違った。私は大学の付属小学校にバス通学していた。妹は近所の公立小学校に友達と集団で徒歩通学だった。 学校から帰れば勉強が待っている私と、友達と遊びに出て行く妹とでは、生活のリズムが全く合わないので姉妹共通の思い出はない。 それどころか、家の中で会うことも少なかったような気がする。 両親と妹が…
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家族ってなんだろう(7)スカーレットに思う

朝ドラ「スカーレット」を観ていて、時々涙が出る。 はちゃめちゃ破天荒なおとーちゃんはドラマの中では既に亡くなってしまったが、自分の思ったように家族を振り回す生き方を貫いた。 とくに長女の喜美子への風当たりは強かった。 長女は賢いのに進学させてもらえず、借金を抱えた呑んだくれの父のため、父が見つけてきた女中の仕事をしに大阪に出さ…
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家族ってなんだろう(6)役割分担

父の敷いたレールに乗っかり、私が父の望む小学校に合格したことで、私を自分の思う通りの人間に仕立て上げようと決めたのだと思う。 たぶん、それは自分が厳格な父親からされてきたことの受け売りだったのかもしれない。 母から聞いた話では、その頃、父は「自分が長女教育をする」宣言をしたそうだ。 妹については母に任せることとし、家の中で…
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家族ってなんだろう(5)両親の長女への思い

私にはおもちゃも絵本もなかった。(車と車の絵本は、引っ越しの時に消えていた) 生まれる前に用意されていた 岩波の「世界少年少女文学全集」50巻だけが本棚に並んでいた。 母は私にお菓子を与えなかった。 煮干しと、鰹節の削り終わりの小さいかけらと、バターの包み紙が私のおやつだった。 鰹節が小さくなって、もうすぐ私の手元に来るとい…
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家族ってなんだろう(4)祖母の家

母は私を身ごもると、父より一足先に実家に帰った。 母の実家は、その頃は文京区にあった。 渋谷の松濤の家は、祖父亡き後、相続税が払えずに売却したそうで、ほんの50坪ほど残った土地は母の兄の所有に移っていた。 祖母と母の妹は文京区のこじんまりした一軒家に住んでいた。 私が生まれた当初は、祖母、母、母の妹の女3人と私の平和な日…
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家族ってなんだろう(3)父の結婚観

名古屋赴任に同行した母は、友達がいない寂しい生活を送っていた。 今のようにネットで世界と簡単につながる時代とは程遠い時代だ。 電話もないので東京と名古屋といえども、家族とも友達とも離れ離れで、お互いの様子すらわからない毎日だった。 もちろんテレビもない。 たった21歳のお嬢様育ちの世間知らずだった母は、いったいどうやって過ごして…
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家族ってなんだろう(2)父と母の出会い

2003年頃だったろうか、母の病状が深刻になり、ほとんどベッド上で生活していた時期、世話をしに通っていた私に 「お父さんは、なんであんなにすぐに怒るのかしら。いきなり目を三角にして怒るの。」 と、母がぼそっと言ったことがあった。 私は、 「お父さんの脳には傷があるのよ。だから怒りのコントロールができないのね」 と、その場の…
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家族ってなんだろう(1)父の生いたち

大正14年、父は九州に生まれた。 上に5人の姉がいる末っ子長男として生まれた。 父の母は女系家族の長女で、その姓を絶やさぬため婿養子をとって結婚したので、何が何でも男児を生まねばならなかったのだと思う。 6人目にしてやっと生まれた男児に、それはそれは喜んだに違いない。 父の前の直系男子は60年前だったとのことだった。 …
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家族ってなんだろう ー書く理由ー

私は、普通に会話のできる父が欲しかったです。 にこにこして孫の成長を見守るような祖父だったら、お正月を施設で迎えさせるようなことはなかったでしょう。 父も 「ひとりで寂しい」 と、従兄弟を介して私に伝えるようなことは、なかったはずです。 私は、妹が白血病になり移植が行われることになった頃、父に手紙を出しました。…
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家族ってなんだろうーはじめにー

最近、 NHKスペシャルで、「認知症研究の第一人者の医者が認知症になった」という内容の番組をやっていました。 医者として認知症研究を続けていた方自身が認知症を発症し、自分をドキュメンタリーの題材にすることで自分のやってきたことが完結すると考え、この番組ができたようです。 それまで「痴呆症」などと言われていた症状を「認知症」…
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特殊な家庭事情

「父のことを書いた前記事」の続きになるが、妹も私も、普通の育ち方をしていたなら、進んで父の面倒を見ていることだろうと思う。  というか、父が普通のちょっと頑固で、ちょっと短気な程度の老人なら、私たちは、「ああ、まただわ」とかなんとか言いながら、きっと世話を進んでやっていると思う。  いや、妹は自分の気持ちを押し殺し、とてもよ…
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これが介護の現実ですか?

 年末に重いテーマの記事で恐縮です。  父のその後は、「圧迫骨折」が急に良くなるはずもなく、厄介な状態が続いている。 妹のおかげで、民間の派遣ヘルパーを使って、ほぼ毎日、誰かが何時間かは家にいる形が整った。  介護認定は申請中ながら、父のような状態で「一人暮らし」であっても、介護度は期待できないらしい。以前にも書い…
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歳をとるということは・・・

「父が背骨の圧迫骨折」をしてから、記事を更新する間も無く、1週間が経ってしまった。  何もなかったわけではない。  それどころか、毎日、次々と事件が起こり、妹は父に振り回され続けた。今も進行形。  ざっと時系列で並べれば、 12日 腰が痛くてたまらないから、早く来てくれ。 で、圧迫骨折だったことは前記事の通り。 …
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「父は元気です。」では、なかった!

先日から、何かとお騒がせの続く父 「父は元気です。」と、書いた時には、周囲が驚くほどの回復ぶりで、その後も順調に傷は治り、完全抜糸が終了した後は整形外科通院もなくなり、日常が戻ってきた。 と、思っていたのもつかの間! すっ転んだ時に打ったと思われる腰の痛みが、日に日に増してきて、もうどうにも動けん! という連絡が妹に…
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父は元気です。

その後、「父の怪我」が、どうなったか?と、ご心配くださっている方もいらっしゃいますので、ご報告させていただきますと、、、  私は見たわけではないので、すべて妹からの連絡によれば、すこぶる順調な回復ぶりだそうです。 耳たぶざっくり切れて、15針縫う手術をして頂き、その後は消毒のための通院をしていますが、経過良好で、本日半分ほどの抜…
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「父と娘」シリーズ続編

期せずしてシリーズ化してしまった感があるが、「父5秒 娘往復4時間」を投稿しようとしているリアルタイムで、妹からの連絡が入り、やりとりしながら内容を付け足してアップしたのが前記事だった。  実のところ、朝の6時半から電話をかけてきて、 「転んで耳を切った。血が流れている」 と、父からの報告を受けた時、妹はバタバタと用意をしなが…
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父5秒 娘往復4時間

 私には4歳年下の妹がいる。   長女である私は、持ち家を決める際の条件として、実家に簡単に行ける範囲の場所で探した。それは、父のためではなく、若い頃から病気持ちの母のためだった。妹は旦那様の仕事の関係で、結婚以来ずっと実家から遠く離れたところに居を構えている。それは仕方がない。私も若い頃には、海外生活で遠くに離れていたのだから、…
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父92歳、娘63歳!

 たまに思考が後ろ向きになる私がいる。 とくに理由はないけれど、  「私は、何やってるんだろう」 と、思うことがある。  誰もが毎日を生き生きと暮らしているわけではないのは重々承知しているが、生きていくのは大変なものだな~などと、立ち止まることがある。  ずっと書こうと思いながら、書いてはまとまらずに放り出してあっ…
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私の子育て

前記事「家族の団欒って!?」に寄せてくださったコメントから、自分のことも書かねば片手落ちだな、と思い続編ともいうべきものを書くに至った。  実は、前々から、自分が親としてどうだったのかについても書こうと思い、何度か書きかけたが投稿できずにいた。 まあ、それには色々な理由があるのだが、、、ひとつには、当ブログの軽くオチのあるおちゃ…
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家族の団欒って!?

 私の子供時代のことは、当ブログで何度も何度も書いたことがあるので、だいたいの様子はご存知の方も多いと思う。それはそれは厳しい暗黒の時代だった。  「厳しい父」 という存在は、昭和のあの頃には普通に多かったかもしれない。 だが、我が家の場合は、少し違った。 父自身が、自分の口で  「俺は子供が嫌いだ」 と、子供を前に言うよう…
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