家族ってなんだろう(4)祖母の家

母は私を身ごもると、父より一足先に実家に帰った。 母の実家は、その頃は文京区にあった。 渋谷の松濤の家は、祖父亡き後、相続税が払えずに売却したそうで、ほんの50坪ほど残った土地は母の兄の所有に移っていた。 祖母と母の妹は文京区のこじんまりした一軒家に住んでいた。 私が生まれた当初は、祖母、母、母の妹の女3人と私の平和な日…

続きを読むread more

家族ってなんだろう(3)父の結婚観

名古屋赴任に同行した母は、友達がいない寂しい生活を送っていた。 今のようにネットで世界と簡単につながる時代とは程遠い時代だ。 電話もないので東京と名古屋といえども、家族とも友達とも離れ離れで、お互いの様子すらわからない毎日だった。 もちろんテレビもない。 たった21歳のお嬢様育ちの世間知らずだった母は、いったいどうやって過ごして…

続きを読むread more

家族ってなんだろう(2)父と母の出会い

2003年頃だったろうか、母の病状が深刻になり、ほとんどベッド上で生活していた時期、世話をしに通っていた私に 「お父さんは、なんであんなにすぐに怒るのかしら。いきなり目を三角にして怒るの。」 と、母がぼそっと言ったことがあった。 私は、 「お父さんの脳には傷があるのよ。だから怒りのコントロールができないのね」 と、その場の…

続きを読むread more

家族ってなんだろう(1)父の生いたち

大正14年、父は九州に生まれた。 上に5人の姉がいる末っ子長男として生まれた。 父の母は女系家族の長女で、その姓を絶やさぬため婿養子をとって結婚したので、何が何でも男児を生まねばならなかったのだと思う。 6人目にしてやっと生まれた男児に、それはそれは喜んだに違いない。 父の前の直系男子は60年前だったとのことだった。 …

続きを読むread more

家族ってなんだろう ー書く理由ー

私は、普通に会話のできる父が欲しかったです。 にこにこして孫の成長を見守るような祖父だったら、お正月を施設で迎えさせるようなことはなかったでしょう。 父も 「ひとりで寂しい」 と、従兄弟を介して私に伝えるようなことは、なかったはずです。 私は、妹が白血病になり移植が行われることになった頃、父に手紙を出しました。…

続きを読むread more

家族ってなんだろうーはじめにー

最近、 NHKスペシャルで、「認知症研究の第一人者の医者が認知症になった」という内容の番組をやっていました。 医者として認知症研究を続けていた方自身が認知症を発症し、自分をドキュメンタリーの題材にすることで自分のやってきたことが完結すると考え、この番組ができたようです。 それまで「痴呆症」などと言われていた症状を「認知症」…

続きを読むread more

白血病との闘い ーその後ー

しばらくご無沙汰してしまいました。 中国深センは、これから新年を迎えます。今、歳末セールの真っ最中といったところです。 白血病のシリーズを閉じてから、しばらく経ちましたが、今の妹の状態を少しだけご報告させていただきます。 定期的に通院し、血液検査などをしていただいております。 服薬は続いていますが、合併症として心…

続きを読むread more

白血病との闘いー後記ー

白血病になってしまったことは不幸なことでした。 病名を聞いた時、言葉を失いました。 今後の展開がわからないこともあり、重い病気のイメージしかなかったからです。 しかし私が知らなかっただけで、医学の進歩は素晴らしいです。 思った以上に患者数が多いことと、治療法は星の数ほどあることも知りました。 医学の力に加えて、妹の…

続きを読むread more

白血病との闘い(最終回)退院

発熱の有無、血圧、採血検査などを続け、数値の変化を見れば、急性GVHDの心配はほぼなくなったという嬉しい結果を得た。 今後も感染症の不安や、まだ遅れてやってくるGVHDの心配がないわけではないが、それを病院で待っていても仕方ないということになった。 飲み薬で対応できることであれば、入院している必要もない。 ということで、一…

続きを読むread more

白血病との闘い(22)退院に向けて

移植から最短で2週間で生着すると言われていた通り、妹は2週間で生着を確認でき、クリーンルームからの脱出が実現した。 やはり優等生だからだろうと、私はこの結果を予測していたようにも思う。 たぶん、自分の身に起こったことを素直に受け入れ、自分ができることは積極的に行い、自分で治癒力を高めていたのだと思う。 それを意図して意識的に行った…

続きを読むread more