ポイズンドーターホーリーマザーから

私は、湊かなえさんの小説が好きです。ほとんどの作品を文庫本で持っています。
(単行本では買ったことなくて、、、すみません。誰に謝るやら)

前にも、このブログで取り上げたことがあるのですが、
「毒のある母親像を書かせたら湊かなえの右に出るものなし」
っていうのが私個人の感想です。

私自身が自分の父親のことを「毒親」と思っているために、この著者にも複雑な母娘関係があるのではないか?という想像も私個人の勝手な詮索です。

wowow premiumでドラマ化されたものを見ました。寺島しのぶと足立梨花の母娘。とくに寺島しのぶの演技力のおかげで、かなり迫力ある毒親が描かれています。でも、タイトルにある通り、poisonなのは娘であり、母はあくまでも聖母なのです。そのあたりの複雑さ、わかる人にしかわからないもどかしさ、
「私は、よくわかるよ」
と、思いながら見入ってしまいました。

ドラマの最後の方で、娘の友達が
 「あなたは、自分がうまくいかない時には、いつも母親のせいにして母親が悪いって言ってきたよね。」
ということを言う場面があります。(セリフは、この通りではないです。物覚え悪いので、大体の意味合いで書いています)

私の胸にも突き刺さる言葉でした。私も都合悪いことが起こると、すべて父のせいだと思ってきました。今でも、そのように思う気持ちは変わらないのだけど、それを周囲に伝えても本当のところは理解されず、そういうことを言う私自身が毒娘になってしまうのだろうな、と気付かされた思いです。

家庭内のことは、誰にもわからない。そして世間の多くの人は、
 親が子供のことを思わないはずがない。
 親が子供を可愛いと思わないはずがない。
 親は子供に無償の愛を与えるものだ。
そんなふうに思っているらしいので、言えば言うほど立場が逆転してしまうものだと気付かされました。
ドラマの中では、宮崎美子さんがそういう立場の女性を演じていました。

この著書の感想を書いたブログなどを見ていたら

 「毒親に育てられた人には、読むのが辛くなる危険性のある小説だ」
と書いていた人がいらっしゃいました。

私がいつも湊かなえさんに感じていた共感は、そこにありました。が、今回は立場を変えて、娘が毒娘であるという描き方をしているところが、読み手によっては嫌な思いをするかもしれないという理由なのでしょう。




今、現実の世界でも「毒親」という言葉が使われ、実際に中学受験を巡って親が息子を殺すという事件が起こり、テレビで色々な方がコメントを出しています。

あの事件は、私の体験とも重なり考えさせられました。
たぶん、私が男の子だったら、父を殺すか父に殺されるか、いずれかだったかもしれないと連想させる一件でした。極端に勉強のこと、成績のことしか人間の価値基準にない父でした。勉強以外のことは全て排除しなければ気が済まない父でしたから、私の生きる世界はとても狭かったと思っています。
某大学の付属小学校に合格した私に過度な期待をかけ、期待通りにならなければ容赦なく罵倒を繰り返していました。
期待とは、優秀な生徒の集まった学校での一番の成績だけだったのでしょう。

父と母と妹の三人は同じ和室に寝て、私だけは玄関脇の狭い書生部屋のようなところに追いやられたことは、きっと私のことを好きではなかったのだ、顔も見たくなかったに違いないと思っています。
私は父にとって、将来、先祖代々の墓を守る惣領であり、それにふさわしい教養がなければ先祖に対して恥ずかしい、それだけの存在意味だったと思います。

たぶん、そういうことを言っても誰も理解できないことでしょう。
そして、そういうことを言い続けている私の人間性は疑われることでしょう。

だから、なかなか誰にも言えないままに学生時代を明るく楽しいキャラの私で過ごしてきました。

子育てをする段階になって蘇るものがたくさんあり、苦しみました。子供の頃に無償の愛を感じてこなかった私が親になるのは、とっても難しいことでした。学校の勉強以外に、こんなにもやらねばならないことがあることも知りませんでした。それができない自分が無能でダメな親であることを痛感しました。
学校で教わった知識が何一つ子育てに役立たず、きっとテレビドラマや漫画でも読んでいた方が子育ては上手にできたかもしれない、、、と、思ったのも、子育てに悩んでいた時期です。

ドレンディードラマが流行していた時に、すでに私は子持ちの主婦でしたが、こういうドラマをもっと多感な若い頃に見ていたら、私の世界は広がっていたかもしれない、、、と、思いました。こんなにも女性の生き方に選択肢がたくさんあるなんて、こんな生き様の女性がいるなんて、仕事をする女性のなんと輝いて素敵なことか! などなど。

就職もさせてくれなかった親のせいにするつもりもありませんが、自分で自分の生きる道を決めてこなかったことを後悔しています。

そして、今でも自分の生きにくさ、人間関係の築き方の下手さなど今の自分があるのを親のせいにしてしまう情けなさ、こういう考え方しかできない自分の脳の構造も腹立たしく思います。


 65歳にもなった私が94歳の父への恨み言を重ねていることに辟易しつつも、私がギリギリでも生きてきたエネルギーの根源は、父への恨みなのかもしれないと思ってますます落ち込みます。

 

 たぶん、こういうことになるから、この小説を読む人には気をつけて!と、忠告を書いている人がいるのでしょう。

 すっかり、その刃が私に突き刺さりました。

 そういう話でした。




 どうも、リニューアルしてからというもの、ブログの最後のオチすら思い浮かびません。
 
 この前に書いた記事は消えたし、次に書きかけていたものが「保存する」にしたら投稿されちゃって、慌てて削除したり・・・
 
 このリニューアルに納得できていない私は、新システムに慣れようという気持ちより未練の方が大きくてダメです。

 私の旅行記のアルバムは、どこに消えたのでしょう? 

 記事ごとにデザインを選んで、ひとつの記事をひとつの作品と考えて投稿していた私には、個性のなくなったこのシステムに気持ちがついていけません。

 今、過去記事の保存作業を進めていますが、すべてデザインが同じになってしまっていてガッカリ感強いです。

 こういうこだわり、先へ進めない性格。

 他の方々が、サクサクと新しいシステムを受け入れて新記事投稿をされているのを見ると、自分の性格の悪さが浮き彫りになるようで、余計に落ち込んでおります。

だから、最後のオチなんて浮かびマセーーーン😞

 

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