2021年
ブログをほっぽっている間に、2021年を迎えてしまいました。
放置ブログにも関わらず、ご訪問くださっている皆様には感謝しかございません。
いつもありがとうございます。
今年もこんな感じになると思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
放置の理由の一つに、中国に戻ってきたらパソコンの調子がおかしくなり、とうとう買い換えることになったというのがあります。年末に発注して、年明けて届いた新しいパソコンに夫がデータを移してくれて、今、やっと使えるようになったこともあって、今頃の新年のご挨拶です。
コロナで振り回された2020年が終わり、引き続きのコロナ時代は、もしかしたら去年以上に大変な年になるかもしれないと思っています。
大晦日に叩き出した東京の感染者数にも驚きますが、そのまま陽性率が下がることもなく、重症者は増える一方で医療現場の崩壊が始まっています。
交通事故搬送の受け入れがなくて時間がかかったり、他の病気の手術が行えないなどの事態が起こっているのですから、すでに崩壊でしょう。
仕事を失った人、収入が減った人、これからも増え続けるであろう生活困難者たちを救わねばならないと思いますが、頼りにならない国に苛立ちを覚えます。
生温い国のトップに辟易の新年です。
中国は情報が正しければ、市中感染が出ていません。入国者の多かった年末年始に水際でぽつりぽつりと陽性者が出ていますが、いずれも隔離施設内での判明ですから、そのまま病院に入るだけです。
私は隔離ホテル生活から解放され、感染の心配のない深圳市内で外食も何度か経験しています。日本では外食はまったくしておりませんでしたから、1年ぶりくらいの外食でした。
ただ、隔離ホテルにいる間から出ていた咳がひどくなり、病院で検査してもらったら「菌に感染した肺炎」であることがわかり、抗生剤を飲みながらゴロゴロと寝て過ごす年末年始でした。ホテルの汚部屋で菌が入ったものと思われます。
ようやく薬が終わり、体調も復活です。
さて、私の波瀾万丈な人生は60代の今も続いておりますが、更なる試練が襲ってきました。
深圳で7年を終えようとしている今、今度は上海に異動の話が飛び込みました。
私のことを前々から知っていてくださる皆様はご承知と思いますが、20代で結婚後すぐに香港生活が始まり、初めての子育ても香港で不安の中でした。
日本に戻って4年もしたところで、今度は韓国転勤。幼い子供二人を連れてソウルでの生活。帰国後、やっと落ち着いて暮らせると思ってマイホームを購入したら、2年ほどで夫が香港単身赴任。
そんなこんなを経て、夫が早期退職をしたと同時に、日本に1500例しかない希少なる病気で入院、手術。復活した夫が選んだ仕事が(選ばれた?)深セン在の会社でした。
60歳からの中国って、どんな人生なんだ?と、思いながらも、2、3年のつもりで付いてきたら、7年目。
そろそろ終わりかと思っていたら、まさかの、、、これから上海ですか〜〜〜。
ということで言葉のできない私が、中国でまだまだ生活することになりました。
お読みくださる皆様には、今年も、私の人生から目を逸らさないでくださいませ。
何が起こるかわかりませんが、私には波瀾万丈が似合うというのか、それしかないというのか、運命を受け入れるだけの生き方をとことん突き詰めてみましょうと思っています。
どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。
放置ブログにも関わらず、ご訪問くださっている皆様には感謝しかございません。
いつもありがとうございます。
今年もこんな感じになると思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
放置の理由の一つに、中国に戻ってきたらパソコンの調子がおかしくなり、とうとう買い換えることになったというのがあります。年末に発注して、年明けて届いた新しいパソコンに夫がデータを移してくれて、今、やっと使えるようになったこともあって、今頃の新年のご挨拶です。
コロナで振り回された2020年が終わり、引き続きのコロナ時代は、もしかしたら去年以上に大変な年になるかもしれないと思っています。
大晦日に叩き出した東京の感染者数にも驚きますが、そのまま陽性率が下がることもなく、重症者は増える一方で医療現場の崩壊が始まっています。
交通事故搬送の受け入れがなくて時間がかかったり、他の病気の手術が行えないなどの事態が起こっているのですから、すでに崩壊でしょう。
仕事を失った人、収入が減った人、これからも増え続けるであろう生活困難者たちを救わねばならないと思いますが、頼りにならない国に苛立ちを覚えます。
生温い国のトップに辟易の新年です。
中国は情報が正しければ、市中感染が出ていません。入国者の多かった年末年始に水際でぽつりぽつりと陽性者が出ていますが、いずれも隔離施設内での判明ですから、そのまま病院に入るだけです。
私は隔離ホテル生活から解放され、感染の心配のない深圳市内で外食も何度か経験しています。日本では外食はまったくしておりませんでしたから、1年ぶりくらいの外食でした。
ただ、隔離ホテルにいる間から出ていた咳がひどくなり、病院で検査してもらったら「菌に感染した肺炎」であることがわかり、抗生剤を飲みながらゴロゴロと寝て過ごす年末年始でした。ホテルの汚部屋で菌が入ったものと思われます。
ようやく薬が終わり、体調も復活です。
さて、私の波瀾万丈な人生は60代の今も続いておりますが、更なる試練が襲ってきました。
深圳で7年を終えようとしている今、今度は上海に異動の話が飛び込みました。
私のことを前々から知っていてくださる皆様はご承知と思いますが、20代で結婚後すぐに香港生活が始まり、初めての子育ても香港で不安の中でした。
日本に戻って4年もしたところで、今度は韓国転勤。幼い子供二人を連れてソウルでの生活。帰国後、やっと落ち着いて暮らせると思ってマイホームを購入したら、2年ほどで夫が香港単身赴任。
そんなこんなを経て、夫が早期退職をしたと同時に、日本に1500例しかない希少なる病気で入院、手術。復活した夫が選んだ仕事が(選ばれた?)深セン在の会社でした。
60歳からの中国って、どんな人生なんだ?と、思いながらも、2、3年のつもりで付いてきたら、7年目。
そろそろ終わりかと思っていたら、まさかの、、、これから上海ですか〜〜〜。
ということで言葉のできない私が、中国でまだまだ生活することになりました。
お読みくださる皆様には、今年も、私の人生から目を逸らさないでくださいませ。
何が起こるかわかりませんが、私には波瀾万丈が似合うというのか、それしかないというのか、運命を受け入れるだけの生き方をとことん突き詰めてみましょうと思っています。
どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。