記録

前記事から2ヶ月ほど、またまたご無沙汰しておりました。

ブログの更新がなくても、時々覗きにいらしてくださり、足跡を残してくださる皆様に心より感謝しております。




今、隔離ホテルにて(自分の記録として)書いております。

この2ヶ月の間、私はジェットコースターに乗ったかのような精神的乱高下を経て、意を決して日本出国、中国に入国いたしました。

2月2日に深センを離れてから約9ヶ月半の日本滞在でしたが、コロナは終息を見ることもなく世界的に第2、第3波が襲いかかり日本も感染拡大する中、いつまで経っても深センに自由に戻れる兆しは見えてきません。

夫が帰国する予定もなく、私が深センに戻るしか通常の生活の形ができないなら、私が犠牲になって隔離生活を減るしかない結論に至りました。
そう、犠牲という言葉が私の中に居座り、なかなか納得いくものではありませんでしたが、こういう世の中になってしまったのだから仕方ないと覚悟を決めての国を跨ぐ移動でした。


中国から出される入境条件は、何度もルール変更がある中、ギリギリのタイミングでビザを取得できました。日本の感染状況から見て、中国への入国条件が厳しくなることを想定し、予定を前倒しにしたものですから、アレよアレよの間に準備を進めて今日に至っております。

深センには、今まで使っていたキャセイ航空による香港経由は使えなくなり、深セン航空利用で深セン宝安空港に降り立つしか手段がありません。
初めて中国の航空会社利用で、初の深センの空港利用になります。週一便しか発着していませんので、その予約を取ったら、次にはPCR検査予約です。
中国指定の検査期間は我が家から遠いところに位置します。
何ヶ月も電車に乗っていなかった私は電車でそこまで行くことすら恐怖でしかありませんでした。

11月の初旬になって、PCR検査に加えて抗体検査も必要だという中国側のルール変更がありました。
しかも3日以内の検査で良かったものが2日以内になったことで、出発前は検査に1日、陰性証明書を受け取りに1日、その翌日には出発というハードスケジュールになりました。

家の前から出ていたエアポートリムジンは運休中のため、新宿まで電車でいかねばならず、スーツケースは事前に宅配便で成田空港に送る手配もして、そのためには、荷造りも忙しいものになりました。
木曜日に宅配が引き取りに来て、金曜日に検査、土曜日に陰性証明書受け取り、日曜日出発というスケジュール。

新宿からのリムジン予約はスマホで決済すればQRコード提示で乗車でき、料金は通常の半額以下になります。

それら全ての予定を立て、一つ一つ自分でクリアし、その日の朝を迎えました。


実は出発から深センの隔離ホテルに着くまでの行程が、私には一番の不安材料でした。

今までの渡航とは明らかに違う様々な儀式が待っているはずです。
それらを一人でできるのか、どんな試練が待っているのか、先に深センに戻った方々から洗礼シャワーのように、ご苦労を伺っておりましたから、余計に緊張しておりました。

早めの成田到着で、まずは空港ターミナルの閑散とした様子に震えが来ました。
カウンターオープン前から、中国に行く人たちがカウンター付近に集まっていました。

宅配しておいた荷物を引き取りチェックインカウンターに行けば、検温、陰性証明書のコピー提出です。
グランドスタッフはフェイスシールド着用、カウンターにはビニールカーテン、荷物を運ぶ人は防護服でした。
チケット発券されると、スマホで健康申告のQRコードを読み取り、個人情報を入力します。
中国の住所、携帯番号、中国在住の関係者指名、その人の携帯番号なども入力です。
自分の体調チェックと、濃厚接触の有無などなど入力終わって送信するとQRコードを貰えます。この時のコードは赤色をしています。これが緑になった時、初めて深セン市中に出歩けるようになるとのことです。

このコードがこれからずっと使われるのでスクショしておくよう言われ、いつでも見せられるようにしておきます。

こういう出国前の面倒な手続きも、もちろんコロナ禍だからのことですが、今後はコロナが終息しても続くのかもしれないなあ、などと思います。

空港ターミナルの店は、ほとんどが休業中です。
レストランの幾つかと、コンビニが1軒空いていて、そこで昼食を済ませますが、緊張感がハンパなく食欲も湧きません。

搭乗ゲートで待っていると、中国人客の中には防護服に身を包んだ方々も何人かいらっしゃいました。東京のみならず日本全体に感染拡大が起こり、GO TOの失敗とも囁かれる中ですから、当然といえば当然の中国の方々の感染対策だと思います。
日本人のゆるさ、甘さをしみじみ思います。

搭乗の前にアルコールが配られ手指消毒を促されます。

機内のCAは、全員が防護服にゴーグル姿です。
アナウンスは中国語と英語で、席についた途端に渡されたランチボックス、飲み水、健康チェックシート。ここでも個人情報を書き込みます。
ほぼ全員が席についた頃、今度は表になった紙を渡され、そこに氏名、座席ナンバー、などを書くように言われ、同じ用紙に次々と他の乗客が書いて搭乗者リストが作られました。

深センに到着後にもPCR検査を受けますが、そこで万が一にも陽性反応が出た場合、座席ナンバーの近い人たちが濃厚接触者としてリストアップされます。濃厚接触者になれば、PCR検査を再度受けねばなりません。もっとも隔離期間中に、全員が何度かのPCR検査を受けさせられると聞いています。

深セン空港に着いてからは、トイレに行くことを許されないと聞いていましたので、行きたくなくとも機内でトイレを利用しておきました。

16時半ごろに離陸した飛行機が深セン空港に着陸したのは、20時半ごろでした。(現地時間)

到着してからは、防護服の公安の人たちに、まるで怒られているような高飛車の言い方で決められたルートを歩かされ、そこが空港であるとは思えないようなパーテーションで仕切られた迷路のような通路を黙々と進みます。

ソーシャルディスタンスを取って行列を作り、パスポートチェックと成田で入れたQRコードの提示。私の個人情報と健康申告などが紐付けされていきます。
イミグレ通過にも念入りな確認があります。
PCR検査は喉と鼻の2種類を行ってから、また迷路のような通路を行くとバスに乗せられ、やっと荷物のあるところに着きますが、それは通常の空港ターミナルではなく荷物のターンテーブルもなく、すでにまとめて荷物が置かれている特別の場所のようでした。

そこで自分のスーツケースをピックアップすると、建物出口でパスポートを取り上げられます。
たぶん、勝手に逃げないように隔離施設に連れて行くためでしょう。
海外では命より大事なくらいのパスポートを無造作にビニール袋にまとめられた時には、緊張が走りました。

荷物を取った順にバスに乗ります。

どこに連れて行かれるのかわからないミステリーツアーバスです。乗車したのは22時半でした。

思ったより空港での手続きがスムースだったのは、彼らもこの一連の流れに慣れたからでしょうか。
9月ごろから、少しずつ日本人ビジネスマンが深センに戻り始め、10月になると帯同家族も少しずつ戻りましたが、その方々から空港で5時間くらいかかる覚悟をしておくよう言われた割に、早かったことに安堵しました。
トイレにも行かせてもらえないと聞いていたので、そこが心配でしたが問題なしでした。


そこから1時間ほどバスで連れて行かれたところが、現在私の滞在するホテルです。

20時半に空港に着いてホテルに23時半というのは短い方だと思います。先ほど取られたパスポートが手元に戻ったのは、バスを下車する時でした。
バスの運転手も、ホテルで待ち構えている公安も皆、物々しい防護服にゴーグル姿です。
日本から入国した我々全員が、(国籍問わず)感染者扱いされます。

ホテルに着いたと言っても、ホテルの正面から入れるわけでもありませんし、すぐには入れません。
外に並ばされ、注意事項が長々と説明されました。
拡声器を使って激しい口調で言われても、疲れ切った私には聞く力もありません。もっとも中国語で何を言われてもチンプンカンプンです。

ホテルに入る前に、またパスポートチェック、健康チェック、ホテルのQRコード読み取りによって紐付けされ、住民登録用の用紙配布、隔離期間中の行いなどの説明書などをもらった上で、最後に電子決済にて宿泊費と飲食代を先払いします。
ここでやっと部屋のカードキーを受け取ります。

荷物を検査台に通した上で、ようやくホテル建物内に入れます。

従業員口のようなところから建物に入り、ボロボロのエレベーターで上がります。
もちろん、誰も手助けはしてくれませんから、大きなスーツケース、小さなスーツケース、大きな手荷物、小さな手荷物を全て一人で運びます。
ホテルのカーペット敷の廊下を転がすのは、大変な労働です。ノロノロしていたら、監視カメラで見られていて、早く歩くように促されました。

不安しかない隔離生活の始まりですが、朝9時に家を出発してから、深夜0時過ぎに部屋到着に疲れが先で、あまり深く考える余裕はありませんでした。

部屋に着いたところで、夫にだけは連絡をして、すぐにシャワーを浴びることにします。
先にトイレを使って、いきなりのガマンポイント発生です。
トイレの水を流すレバーが動きません。
上下、左右、押したり引いたりしましたが、錆びたようなグラグラしたような頼りないレバーは壊れそうになるだけで、役に立ちません。
水タンクの蓋を開けて、自分で水の弁を開いて流しました。以降、重たい蓋は床に置いたままです。

トイレが詰まるという話もよく聞いていましたから、トイレットペーパーは流しません。オムツ用の消臭袋を持ってきていたので、そこに捨てます。

シャワーを使って(バスタブはありません)、洗面所の足拭きマットにたったら、そのあたり一帯が浸水していました。シャワーブースの排水がうまくできていないようです。ホテルのバスタオルを床に敷き、水を堰き止めました。以来、今も床にはバスタオルを敷きっぱなしにしています。

シャワーを終えてから、夫とビデオチャットをし、色々とホテルの不具合を話せば、
「部屋を替えてもらえば」
と、簡単におっしゃいますが、部屋を換えたら、また別の不具合があるに違いありません。
交渉することが苦手な私です。
しかも、朝から試練続きで夫も経験したことない面倒なことを掻い潜ってきて、疲れ切っている私にそういうことを言われるだけで、こちらの精神崩壊しそうです。
自宅でのんびりとした日曜日をテレビの前で過ごしている夫と、朝から怒涛の試練を体験し、身も心もズタボロの私では、所詮、理解し合えるわけがないと思った辛い初日の深夜でした。

ここに至るまでにも、私の精神のバランスを取るのが大変な時期もありました。

自分の苦手なことを一人でこなしてきた11月初めからの準備期間中、人の何気ない言葉で追い込まれることがしばしばありました。

精神の障害者に寄り添って自立支援のお手伝いをする仕事をしてきた私には、いつも相手を丸ごと認めることを心がけてきましたが、自分がこのような体験をして、今までの自分の寄り添い方が正しかったのかを問い直す機会にもなりました。
自分の意見を押し付けず、相手の思いを丸ごと受け止めることの難しさを、我が身で体感した気がしました。


到着しただけで、もう私はボロ雑巾のようになっていました。スーツケースパンパンになるまで詰め込んだ、隔離中の非常食などがあふれそうになっているところで、今一度、スーツケースに押し込んで、部屋を交換してもらう交渉をし、移動するなどと思っただけで、死にたくなるほどに追い込まれました。

本当に私のためを考えてくれるなら、どうしたいかを先に聞いて欲しいものだと思いながら、孤独を感じる夜でした。

私がそんな気分に落ち込んだのは、夫のひとことがきっかけにはなりましたが、前日からのモヤモヤが続いていて眠れなかったことも影響していると思います。

私くらいの年齢になった人にありがちですが、相手のことを想うつもりの心遣いが裏目に出ることもあるのだと思います。

私の出発は、いつもとは違ってかなりの緊張を伴うものでした。
前日といえば最後の手荷物の点検や、初めて尽くしの手続きの煩雑な当日のことを思って、頭の中はいっぱいいっぱいです。

そこに電話をかけてくださる友達。
「間に合ってよかった。声が聞けて嬉しい」
と、言いながら、自分のことを話す人たち、次々に3人でした。

夕食前から始まり、夕食は8時を過ぎてしまうまで、話は途切れませんでした。

特に3人目の方の電話内容は、中国で隔離されることを私が言えば、全く私には関係ない知らない方のゴージャスな(中国でもない)海外生活の様子をとうとうと語られ、私は何を聞かされているのか、途中で吐き気がするほどの嫌悪感に襲われました。
でも古い人間の私は、相手からかかってきた電話をこちらからは切るのは失礼だという常識が身についてしまっているので、何度も切りたい衝動を抑えて聞いていました。

電話を終えた後、息子が用意してくれた夕食を二人で食べましたが、待っていてくれた息子の気配りに感謝しながら、電話の内容を思い出してはため息が出ました。

きっと、彼女も精神的に参っているのだろうと思います。持病があって、それでも多くの方と関わり、毎日が疲弊の連続なのでしょう。そんな彼女には、私が中国に行くのに大変だということよりも、私相手にたくさん喋れることが嬉しかったに違いないと思います。

日本の最後の夜が疲れと、腹の立つようななんともつまらない時間の過ごし方になり、そのまま、なかなか眠れず、2時間もしないうちに目が覚めることを繰り返して、出発の朝を迎えた次第です。




今、私の隔離生活は6日目です。
14日間か15日目までなのか、開放の日は知らされていませんが、淡々と粛々と過ごしています。

隔離生活の様子については、別途、記録として綴りたいと思います。

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