家族ってなんだろう(17)ー母が亡くなってからー

2005年、母の最期の日(5/30)は、父と私たち姉妹と香港から帰国してきた夫とで看取った。
4日ほど前から危篤状態が続き、私たちは病院に泊まり込んだ。
母は2人部屋を一人で使っていたので、空いているベッドを父が使い、妹と私たちはエレベーター近くのベンチで寝た。

4日目の朝、息を引き取った。
その後、子供達や親戚の方々が病院に次々と集まってくれた。

父は妙にテンションが上がって、興奮状態になっていた。

自宅にご遺体を運び入れ、和室に北枕で寝かせた後、葬儀社との打ち合わせが始まったが、父はずっと大声で吠えるように喋っていた。

人は体験したこともない大きな出来事に出遭った時、感情のコントロールができなくなるのだと思う。
それは、理解できる。
本当に悲しいことがあった時、涙が出るより、しっかりしなければという気持ちが勝つことがあるらしい。
父は配偶者を亡くした気の毒な老人だと思われたくない意識が強かったように思う。

葬儀社との話はなかなか進まなかった。
会葬者に振る舞うお浄めの席の料理にしても、私たちに決めろと言う割には、文句を大声で喚き散らしていた。
黙る瞬間がないほどに文句だけを並べていた。

親戚がたくさん家に集まってくださっているのに、しみじみと思い出を語るなどという時間はなく、ただただ父が感情的に怒りをぶつけるばかりだった。

葬儀の打ち合わせが終わり、親戚と家族だけになった時、
母の遺影選びを私たちに任せると言い、父からアルバムを渡された。
妹と従兄弟と、そのアルバムを見ながら、母の楽しそうな顔をしている写真をいくつか候補として挙げた。

父は、それを見て怒り狂った。
「お前たちは、そんな写真を選んで!」
と、怒った。
「もっといいのがあるのに、わざと選ばんつもりだな。大体、お前は、そうなんだ!」
と、怒りの矛先は私に限定された。

アルバムをひったくるように取り上げ、自分で目当ての写真を探したが、そこになかったらしい。
怒った顔のまま階段を音を立てて2階に上がり、
「これだ!」
と、憮然とした顔で言いながら、2階から持ってきた母の写真を私たちに差し出した。

従兄弟は、
「なんだ、2階にあったんですか。それは仕方ない。探せるはずないや。」
と、混ぜっ返したが、父は
「どうせ、これをこいつは選ばんだろ」
と、言い放った。
こいつ、とは私のことだ。

それは両親揃って宮中に招かれた時の記念写真だった。
結局、そういう自慢がしたかったのなら、最初から自分で選べば良いのに、それをしない。
父の心理は私にはわかる。
私が、その誇らしい日の写真を選ぶかどうかを確かめたかったのだろう。
アルバムの中に挟み込んでいなかったのは残念だったろうが、あると思っていた父は、それを選ばなかった私を皆の前で吊し上げ、ほら見たことか、と怒る材料にしたかったのだ。
結局、そこになかったにも関わらず、私は怒鳴られた。
何がなんでも私を怒鳴りたいのだ。

それには、何年か前の、あの日が原因だった。
あの日から、父はずっと私を怨んでいたのだろう。

父が勲章を頂くことが決まり新聞に発表された日だ。
そのころは、私が同居している期間中だった。
新聞発表を見た方々から、たくさんの祝電が届き、私は何度も走って玄関に出て電報を受け取った。

届いた電報をチェックしながら、父が
「あいつから電報がまだ来ないのはけしからん!」
と文句を言っているのが、私はものすごく嫌だった。

人間として立派な人に勲章をやってくれ、と思っていた。
たまたま国家公務員をやったというだけで誰でももらえる勲章をもらったことに有頂天になっているような、こんなクズには勲章などくれなくて良いと私は内心で思っていた。

何度も玄関チャイムが鳴り、ただならぬ雰囲気に子供たちに何があったのかを尋ねられ、
「仕事をして定年を迎えたら誰でももらえるバッジをもらうことになったお祝いの電報」
と、説明した。
そして父におめでとうございますの一つも言わなかった。
子供達に、おめでとうを言うように私が指導もしなかった。
それが父は気に食わない。
妹はこういう時に点数稼ぎをするのが得意なので、しっかりと祝電を送ってきた。
こうして、またまた妹と私を比較されて私がいかにダメ人間であるかを説教される。

「お前は、勲章の意味も重みもわかっていない」
と、怒っていた。

いや、わかっている。
こんなことで怒って、おめでとうを言って欲しいという、ちっぽけで薄っぺらな奴に勲章など与えないで欲しいと心底思った。
そもそも社会貢献した人にだけ勲章を授与していただきたい。
国家公務員を定年まで勤めたら、人間性に関係なく全員に勲章が来るのだから、いちいち大騒ぎするのもいかがなものかと私は思って冷ややかに見ていた。

そのことを根に持っていた父は、この日の写真を選ばない私を親戚の前で罵倒しようと計画していたに違いない。

あれから何年も経っているのに、執念深い人だ。

アルバムに入っていなかったことで、思いっきり私を怒鳴れなかったのは残念だったと思うが、父の考えそうなことはDNAがかなり濃く入っている私には手にとるようにわかる。

その授与式の時の写真を父は遺影にして、葬儀の場でその写真の説明をしたいだけなのだ。

しかし、その写真は母が自分で気に入っていないことを父は知らない。

あの日、私が着付けをした着物を着て車に乗った母は、もともと車に弱いので、宮中に着くまでに車酔いして辛い思い出しかなかった。
写真も気持ち悪そうな歪んだ表情をしていて、決して母の人間性が滲み出るような写真ではない。
写真が送られてきた日、母は自分の生気のない顔を嫌がっていた。

こんな写真を選んだことを母は残念に思っただろう。


親戚がまだ何人も残っており、相変わらず興奮している父はアドレナリン大放出で大声で喋り続け、ご遺体などそっちのけだった。
その喧騒から逃げるように、妹家族が帰ってしまった。

すると、父が自分の日記をみんなの前で読み始めた。
そこには事実と異なる父の創作が書かれ、それがあたかも事実であるかのように塗り替えられていて驚いた。
私を罵倒する文言が並び、しかも事実とは異なることに私は愕然としながら、泣けてきた。
「ゆーままは、自分がシャワー介護をサボりたくて、看護師を呼んだ。」
と、ご遺体に聞こえるように大声で読んでいた。
親戚の皆さんも、その日記朗読をありがたく聞いていた。

私が母の買い物をしたり、母の病院の送迎をしていたことは、一言も書かれていない。
シャワーもしたし、毎日の食事も作って運んだし、遠くに住んでいる妹より数倍私は実家に通い続けたのに、そんなことは何も書いていなかった。
看護師に頼んだのも、母の容体が相当悪くなってからだ。
素人の私の判断でシャワーをして良いものかどうかわからなくなっていたから、訪問看護を頼んだだけで私がサボるためではなかった。
私は居たたまれず、ご遺体のある和室に逃げた。

従兄弟のお嫁さんが、和室で泣いている私の背中をさすりながら
「妹子さん、帰っちゃったのね。」
と、ポツリと言い、
「大きな声であんなこと言ったら、おばさまに聞こえてしまうのにね」
とも言ってくれた。
彼女だけは、あの日記が事実ではないことを見抜いてくれていたと思う。


そんなこんなのドタバタから、1週間後に母の葬儀は終わった。

終わるとすぐに、父は母のものを処分するよう、私たちに命じた。
普通は四十九日を過ぎてから形見分けをするものだが、父は1週間で母のものを全て処分するよう言った。
着物や帯、少しの高級な衣類を残し、後は全てゴミにした。
もともと母は生前に整理してあり、数少ないブランドバッグや宝飾品は既に妹と私に分けてもらっていたので、片付けは簡単だった。

東京での葬儀、九州での四十九日、すぐにやってきた一周忌「しのぶ会」は銀座のホテルで開いた。
こういうことの準備は、全て私たち姉妹が任された。

父は仕事でも事務方に命令をしてやらせるだけで、自分で面倒なことはやらない。
家の中のことも、面倒なことは母に任せてきたので、電球一つ取り替えることができない。

炊飯器、洗濯機の使い方を教えるところから、父の一人暮らしは始まった。

仕事に出て、仕事場に家の鍵を忘れてきたと言っては私を急に呼びつけたり、テレビのリモコンが誤動作をしたと言っては電話をかけてくる。

いきなり呼びつけられたり、電話であれこれ聞いてくるのだが、父は私たちに頼っているつもりなどさらさらない。
意地でも一人暮らしをしているのは、周囲に褒められたい、自慢したいからだった。
奥さんに先立たれて、男ヤモメにウジが湧くと言われたくない、同情されたくない、というバカバカしいほどの見栄のため、私たちがサポートしていることは人に言わず、一人でなんでもできると豪語していた。

それはそれで良い。
とりあえずサポートは必要としても、一人でやってくれるなら、こんなにありがたいことはない。

だが、年齢には逆らえない。
2013年冬、転んで骨折し、私が毎日、朝晩、世話をしに通わねばならなかった。
2014年私が中国に行ってからは、耳を切ったり、頭を打ったり、何度も妹に付き添われて病院に行くなど、さんざん迷惑をかけた上、最終的にやっと優良介護付き老人住宅に落ち着いたのが2018年のことだった。

私が日本にいないことで、妹一人に大きな負担がのしかかった。
2019年4月、妹は白血病になってしまった。

母の病気も、妹の白血病も、父が原因だと私は思っている。


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