家族ってなんだろう(13)ー24歳の誕生日から、結婚へー

私の若い頃、大学卒業後2年経った頃の24歳が適齢期という時代だった。

友人の半分ほどが24歳で結婚し、私は、その年だけで11回ほど結婚式に参列した。

私は独身で24歳の誕生日を迎えた。
その日、母がささやかながら祝いの手料理を用意してくれていた。
普段よりは、ちょっと豪華な食卓についた途端、
父が怖い顔して座るや否や、
「24歳で結婚もせず、家にいる娘など恥ずかしい。なんだお前は!」
と、怒り出し、空気が凍りついた。
まだ食事が始まる前に言い放った。

せっかく用意されたご馳走に誰も手をつけないまま、父は憮然とした顔のまま
「俺の姉貴たちは、全員24歳には結婚してたぞ」
と、不機嫌そうに大きな声で言い、私を犯罪者を見るような目で見た。

母が
「そりゃー時代が違うでしょ」
と、珍しく言葉を発したが、父はそんなことにお構いなしだった。
「2度目の自分の干支を独身で迎えるなんて、全く、恥ずかしい。お前は、どうするつもりだ」
と、さらに語気を強め、目を三角にして私を蔑んだ。



24歳の独身女は、恥。

誕生日を祝ってもらったことなど、ほとんどなかったが、誕生日に怒鳴られることも今まではなかったかもしれない。

せっかくの母の手料理を私は食べたか食べなかったか忘れたが、食べたとしても味は分からなかったと思う。


やはり自立すべきだったのだと思う。
父とは考え方が合わないのだから、一緒に住むべきではなかったのだと思う。
父にとって私は目障りな存在でしかないのだと思う。

以来、私は父とは一言も話さないまま、針の筵にいるような気持ちで毎日を過ごしていた。

父も憮然としたまま、私を透明人間ででもあるかのように無視し続けた。
それは私にはむしろ幸いだった。
私もできるだけ気配を消して、暗い気持ちで日々を送っていた。

24歳までに結婚しなければ恥だと言っていた父だが、私が25歳になる前に結婚相手を紹介すれば猛烈に反対した。

あの頃、父の職場や友達のお嬢さんが結婚し、幸せそうな話を聞いたに違いない。
誰よりも勝ちたいという気持ちが強い父は、結局、私を他者との競争の道具としか思っていなかったのだろう。

小学校受験をした時も、誰かより勝ちたかったのだと思う。
私は父の武器であり、父の道具であったのだと思う。

それが結婚に関しては、私が思うようにならなかったことで敗北の材料になってしまったのだと思う。

私の結婚は反対されながらも、母の大胆な行動で進んだ。
母が式場を決め、この時ばかりは主導権を握った。
父は、「出ない」と言ったが、実際には結婚披露宴への注文をやたら挙げた。

かくして私の結婚披露宴は、ほぼ父の親戚で埋まり、友達は限定され、父の思う通りの式次第に決まった。

あくまでも「都会の洗練された食事会であること」が父の意向だった。

和装はダメ
キャンドルサービスもダメ
お色直しは(本当はやるなと言われたが、会場から1度はしないと時間がもたないと言われたので)地味にしろ
友達による歌はダメ
ビールを持って挨拶に回るような下品なことはしないこと(食事の席を移動するのはマナー違反)
最後の花束贈呈や、親への手紙はしないこと
あくまでも本人たちの主催であること

などなど、幾つも条件を出された。

入場などの音楽は友達にエレクトーン演奏を依頼したが、その彼女に向かっても父は怒鳴っていたという。
これは今でもさんざん、彼女から恨み言を言われている。

私は友達数人しか呼べなかったが、彼女たちに思いっきり派手な服装をしてもらった。
私自身は紺色の地味なドレスで、髪の毛もストレートのおかっぱのまま何もいじらない目立たぬ花嫁だった。

私は披露宴に思い入れもないまま、無事に終わることだけを祈っていた。

最後の最後に、父がいきなり立ち上がってマイクを持って喋り出した。
自分の職業は絶対に言うな!と、私に言っていたくせに、自分から職業を紹介し名乗った。


この人は、自分が披露宴で晒し者になって泣かされることを心底嫌ったのだろうと思う。

でも、自分の職業は誇りたかったのだろう。

くだらない人だ。

ちっぽけな人だ。

それでも私には家族だ。

たぶん、一生縁の切れない家族だと思う。

結婚で父との関係は、少しでも変わるかと思った。

結婚後、香港に出たことで物理的に離れることができ、これで帰国した後には、きっと普通の親子として話せる日が来ると思っていた。

でも

それは幻想だった。

孫でも生まれれば、少しは父との関係が良くなるかと思っていた。

それも幻想だった。

父は全てを支配し、自分が大事にされないなら、それは自分の邪魔でしかないと思うのだろう。
娘と普通に(対等に)話すことなど、天地がひっくり返ってもないことだった。

孫の話で少しは普通の会話ができるかと思ったが、子供が嫌いな父に期待するだけ無駄だった。

孫の可愛さに母が夢中になり、自分を蔑ろにすることが面白くないらしく、常に苛立っていた。

父は自分がいつまでもチヤホヤされたい。
それをあからさまに言えないから、怒鳴って周囲を制圧し、怖がられるという歪んだ形ででも、自分に注目が集まること、自分に神経を使って接することを望んだ。

家族と対等に楽しく会話をすることなど、父の頭にはカケラもなかったのだと思う。

自分の考えを押し付け、自分の思うようになる人を支配下におきたいだけなのだと思う。

自分の思う通りにならない子供は嫌いで、子供が世界の中心みたいな家庭は、もっと嫌いだったのだと思う。

私が何を考え、どういう気持ちでいるのかなど、父には興味もなければ、そんなものくだらないとしか思っていない。

自分の言うことを聞く人だけが存在の価値があると思っているのだろう。

そういう意味で、私は父から見ればゴミ以下だ。



ちなみに、妹は28歳で見合い結婚した。
妹の24歳の誕生日がどうだったのか聞いたことはないが、28歳まで親元にいた妹が父から蔑まれたことはないと思う。

妹の結婚披露宴は、友達が作った8ミリビデオを見せたり、賑やかで派手な宴だった。
お色直しにはド派手なフリフリしたピンクのドレスを着て、ティアラもキラキラしていた。

私のあの紺色のドレスは、裾まで真っ直ぐのストンとした既製服で、たったの2万円で買ったものだった。
裾のほうに花柄があったものの、高砂の席に座れば、無地の濃紺の普通の服だった。
挙式前に会場にドレスを持って行ったら、式場の方に驚かれ、本当にこれを着るのかと何度も確認されるほど地味な普通以下の服だった。


妹の楽しそうな結婚式に参列しながら、
いつまでも妹との格差は消えないんだなー、
父は私のことが、よほど嫌いなのだろうな、と思ったものだった。

妹の友達が作っていた8ミリビデオに、お姉さんも出て欲しいと頼まれたが、ささやかな抵抗としてお断りした。

妹だけ、自分の思い通りの楽しそうな結婚式準備をしていることに、私はちょっと敗北を感じ、僻んでいたのかもしれない。

性格の悪い自分に嫌気がさしていたのも、この頃だった。

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