家族ってなんだろう(12)ー23歳ー

私の大学卒業の頃、父は山梨に転勤になった。
両親が揃って山梨に行き、私は妹との二人暮らしになった。

あの時、家を出ていれば良かったと、今なら思う。

ピアノ教師とアルバイトだけでは、とてもひとりでアパートを借りて自立などできなかった。
それでもボンビーガールのように逞しく、ひとりで親の家から離れるべきだったと、今なら思う。
でも、今またあの当時に戻ったとしても、自立の選択肢は自ら封印してしまうのだとも思う。
それほどまでに父からの呪縛はきつく、判断力さえも奪われていたのだと思う。

23歳の頃に出会ったお見合い相手と、何度かお会いしたが、結局、私は断った。
高学歴、高収入、条件は悪くなかったが、私はこの結婚をしても親からの支配に抵抗できないことを知って怖くなっていた。
父の介入が激しく、相手と会うたびに話を報告させられた。
相手を批判したり相手の親のことを蔑むようなことを言い、私はとても嫌気がさしていた。

こんなに最初から干渉されるということは、結婚後も口出しされ、私への支配をやめないのだろうと思った。

相手からの結婚の意思表示に対して、私は即答でお断りした。

そもそも結婚する気も願望も夢も持っていなかった。
そのことは、相手からも見抜かれていた。
結婚の意思もないのに、無理に引きずり出されたお見合いだったことで、相手にはご迷惑をおかけしたと思っている。


自分の育った環境の中で、結婚が良いものだなどと感じたことは一度もなかった。
両親を見ていて、母が幸せそうに思えたことは、一度もなかった。
ひとりで生きていければ、それが一番良いとも思っていた。
ただ、きちんとした就職をしていなかったから、私は経済的に自立が難しかった。
とくにあの時代、女が一生仕事をするという風潮はなかった。
成績優秀な友達が念願の学校の先生になりながらも、条件の良い人と見合い結婚して寿退職をすることが当たり前のような時代だった。
恋愛結婚の方が多くなっていたとは思うが、それでも結婚後に仕事を続ける人は少なかった。

私の選ぶ道も、やはり結婚して相手に食べさせてもらう人生しかないのか。

教師になれず、きちんとした就職もせず、父に闘いを挑む気力もなく、ピアノを教えてアルバイトでもしていれば良いと安易に考えてしまった自分の甘さをあの時も、そして今でも後悔している。

お見合いを断ってから、まだあまり日が経っていない頃のこと、父が山梨から週末に戻ってきていた日、私はピアノの出稽古から同級生の集まりへと梯子して、疲れた体で帰宅した。

夜の10時ごろだったと思う。
父がリビングで私を待ち構えていたかのように、
「おい、お茶を飲まないか」
と、言ってきた。
私は疲れていたし、面倒な話は御免だったので
「いらない」
と断って、2階の自室に行くべく階段を上り始めた。

と同時に、階段の下から怒声が轟いた。

ワーワーとうるさくて言葉を聞き取るのも面倒だった。

「話があるから、言ってるんだ」
と、下から叫んでいるようだった。

「話があるとは聞いてない。お茶を飲まないか、と言われたから、要らないと答えた」
と、私が初めて父に理屈で返したら、さらに激怒した。

「何を屁理屈を言うか」
と、怒鳴っていた。

「話があるなら、最初から話があると言えばいいじゃない」
と、またしても私は父に対して、階段の上から言葉を返して自室に入った。

こんなふうに父の揚げ足をとったり、言い返したのは生まれて初めてだった。

頭に血が昇りきった父は、顔を真っ赤にして怒り狂い、訳の分からない大声を発しながら階段を上がってきた。
私はベッドに横たわってドアに背を向けていた。

父は私の部屋に入ると、私の腕を掴んでベッドから引きずり下ろそうとした。
私は抵抗した。
「疲れているから、やめて」
と、なおも言い返したことで、父は半狂乱になった。
男のヒステリーか。
見苦しい。
真っ赤な顔をして、23歳の娘を怒鳴る50歳の父親は最低な生き物に思えた。
バカバカしい。
私は父を蔑む気持ちしかなかった。

このまま死ねばいいのに、と内心で思っていた。

さすがにいつもは知らんぷりの母が2階に上がってきて、父を制した。

言葉の暴力は今まで何度も何度も幼少の頃から繰り返されてきたが、父が腕尽くで私に暴力を奮ったのは、この時が初めてだった。
職業柄、手を出してはいけないと思っていたのだろうが、その最後の理性までも失ったとみえる。

母が必死で止めていた。
そういう姿も初めて見た。
今まで、私が怒鳴られていた時、ただの一度も間に入ることなどなかった母が必死になって父を押さえようとしていた。

隣室の妹もさすがに
「やめて」
と言って泣いていたと思う。

こういうのを修羅場と言うのだろうと思った。


結局どうなったかというと、最終的には私は階下に降りて、父の話を聞く羽目になる。

この人は、一度言い出したら何があっても自分の思い通りにしないと気が済まない。
クタクタになっている私だったが、この修羅場から1時間後くらいに、父の思い通りにした。
深夜に父と対座した。

私が下に行くまでの間に、妹が父に
「なぜ、昔っからお姉ちゃんばかり怒るの?私は1度も怒られたことがない。いつもお姉ちゃんばかり、なぜ怒るの?」
と、言ったらしい。



父と相対した私が、最初に言われたのは、
「妹子に悪いことをした。かわいそうなことをした。妹子に言われて、妹子をかまってやれなかったことでかわいそうな思いをさせたと知った」
ということだった。

アホクサ

妹が実際にどのように言ったかわからないが、またしても自分が点数稼ぎをしたのか、くらいにしか私には思えなかった。

父の目がいつも姉を見ていることを妹は寂しい思いでいたのだと、父は解釈していた。
お姉ちゃんをそんなに怒らないで、という妹は優しい良い子ということだ。

もう私には、その先の父の言葉など耳には入らなかった。

私をさんざん引きずり下ろそうとして、何が話したかったかも忘れて、テーマは妹が良い子に育ったことと妹に悪いことをした話になっていた。


私は、あの日は本当に疲れていた。
帰宅後にすぐにお風呂に入って寝たかった。
それが、結局、深夜になり、父の思い通りに座ってみれば、また妹が点数稼ぎをしたという印象しかなく、なかなか眠れなかった。

翌日は、朝からピアノを教える日だった。
家の隣に住む女の子を指導する日で、その子の母親が私の顔を覗き込むようにしながら帰っていくのを見て、昨日の修羅場がどれだけ近所迷惑だったかを思い知った。

筒抜けだったに違いない。

次の年、父は転勤でまた東京に戻ってきた。

都心にある公務員住宅に入居を決めた。
私と妹は実家から、そこに引っ越すよう命じられた。

実家が空き家になるのだから、私はその時、ひとりででもそこに残るべきだった。
父の言うなりに付いていってしまったことが、その後の人生にも関わる大きな失敗だった。

あんなに嫌っていた父と、また同居することをなぜ選んでしまったか。
選択肢もなく命じられた同居だったが、それでもあの家に残っておくべきだった。
ピアノの生徒を断らねばならなくなり、引越し先では生徒など見つからないだろうとも思っていた。
案の定、ピアノの生徒は減った。
ただ幸いなことに、某国立大学の研究室で仕事をしないか、というオファーを頂けたのは有り難かった。
収入は少なかったが、先々まで安定できるはずの仕事が見つかったのだから、やはり自立を考えるべきだった。

もう一度、修羅場になったとしても、あの時の私は親から離れるべきだったと今も後悔している。

いつでも父の言うなりにしておかないと面倒だという思いがあった。
あの修羅場を経験し、父には何を言っても無駄であることを再確認したことで、長いものには巻かれることを選択してしまったのだと思う。

支配され、呪縛されていることを許容してしまい、自分の考えをしっかり持たなかった罰だとも思う。

自分で自分の人生を切り拓こうとしなかったことが全てだ。

今も後悔しかない。

もしも、子供時代からあの家族でやり直せるとしたら、父を殺すか私が殺されるかというもっと激しい修羅場になっていたかもしれない。

結局、私の人生には後悔しかないのかもしれない。

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