家族ってなんだろう(11)大学時代から卒業後

私が大学1年の時、うたごえ運動をするサークルに入り、週3回は活動で帰宅が8時を過ぎた。

当然、父は激怒した。門限を8時にされ、サークルを辞めるように言われた。
家が遠いのだから、7時までの活動に参加すれば、門限までに帰れない。
私はサークルを途中で抜けてダッシュで帰る努力をしながら、辞めることは選択肢になかった。

幸いなことに、1年後に父は単身赴任で千葉県に行った。
家事一切ができない父のため、母が週2回は千葉に通い、週末は父が戻ってきたり母が泊まったりしていた。
おかげで私は、やっと少しは自由な大学生活を送れるようになった。

父のいない生活が、こんなにも心健やかに穏やかに暮らせるものだとは思いもしなかった。

ただ、父が帰宅している土曜日は気が抜けなかった。

極力、門限までには家に帰るように努力していた。

そんなある日、妹が好きなアーティストの公開ラジオか何かに行って、帰宅が夜の11時近くになることがあった。
父は私に
「お姉ちゃん、バス停まで迎えに行ってやれ」
と、言った。
高校生の妹には門限もなく、夜中に帰ってきても怒りもしないどころか、私に迎えに行けと!?

姉妹を徹底して差別する教育は、子供の頃となんら変わっていなかった。


私が妹の水着にケチをつけたという事件(ケチをつけたわけではないが)は、私は一生忘れないと思うが、もうひとつ、妹が私のスカートを見て
「ゴミ袋みたい」
と、言った事件も私は忘れない。
ご近所の方からのお下がりで頂いた麻のスカートは、オレンジ色できれいだった。
サイズもちょうど良く、私服の少ない私にはとてもありがたく、嬉しかった。
試着して
「どう?」
と、嬉しそうに妹に見せた時に、言われたのが
「ゴミ袋みたい」の一言だった。

これはどう考えても、私が妹の水着に対して透けるんじゃないかと心配した話とは違う。
ゴミ袋みたいに見えるスカートだったら言われても仕方ないが、どこからどう見てもゴミ袋ではない。
材質が麻だったから、麻袋を連想したのかもしれないが、決してゴミ袋とは違う。
鮮やかなオレンジ色で、仕立てのきちんとした上等なものだった。

私は、その言葉を父のいないところで言った妹にしたたかさを感じた。
私は、そのスカートを惜しげもなく外のごみ箱に投げ捨てた。
母は妹をかなりきつく叱ったらしいが、その代替にスカートを買ってくれることもなければ、ゴミ箱から拾い出して洗ってくれることもなく終わった。
その話は、きっと父にはナイショだったのだろう。
妹がそのことで父から怒られたことはない。

姉妹でありながら、ふたりで思い出せるエピソードといえば、こんなものくらいしかないというのもおかしなものだ。



私は20歳を迎えた。
成人式の日、母は千葉に行っていて不在だった。

成人式というのは行かなくても良かったのかもしれないが、行くものと思いこんでいた私は、誰も知り合いのいないところに出かけて行った。
親は晴れ着など用意してくれていなかったので、手持ちのワンピースの中からお正月に新調したピアノの発表会用のもので参加した。
成人式では、周りの人たちが旧友たちと楽しそうに晴れ着を見せ合って騒いでいるのを冷めた目でチラ見して、国語の辞書を貰って会場を後にした。

その足で、ひとりで写真館に行った。
晴れ着で両親と一緒に来ている人たちの中、普通のワンピース姿でひとりでポツンとしていたので、写真館のご主人は私を労るように扱ってくれた。
家族で楽しげに来ている振袖姿の人々に圧倒されながら、寂しげに微笑む写真を撮ってもらった。

のちに、その写真が写真館に飾られ、近所の人の目に留まり評判になったのだから皮肉なものだ。

大学の友達は、それぞれの地区で幼なじみと会ったり、晴れ着を競い合って楽しい時間を過ごしていたと思うが、私はたったひとりで誰とも話すこともなく、親にも祝ってもらえずに成人式を終えた。
帰り道、なんだか泣けてきた。


大学4年になる頃、父は千葉から東京に戻ってきた。
そして私に
「教員になるな。就職するな」
と言った。


私は教育実習先の小学校で、
「先生に向いている。良い先生になる」
と褒められ、
「女性にとって教員は一生できる素晴らしい職業だから」
「教員試験に通ったら、うちの学校で仕事をして欲しい」
とも言われていた。
大学から教授が参観にきた公開授業も、とても良い評価を頂き、成績も良かった。

が、父は私の学生時代の活動をわかっていた上で、教員になって変な旗を振ってもらっては困るという理由で教師になることを禁止した。

就職もするなと言われた。
父は
「俺が小遣いをやるから、仕事はするな」
と言った。

私は学生時代からアルバイトで家庭教師とピアノ教師をしていた。
卒業後は、ピアノ教師をそのまま続けることにして、ピアノを教えながら国の教育機関でのアルバイトも始めた。
父はお小遣いをくれるわけでもなく、国民年金すら払ってはくれなかったから、自分で稼ぐしかなかった。

高校時代から、父の考え方は方向転換をしていたようで、
「女が東大なんかに行っても仕方ない」
ことを言い出していたが、
さらに大学時代になると
「友達なんて必要ない。女は男の世話をすることこそが生きる目的だ」
と言い始めていた。
そして
大学4年生の時、私はお見合いをさせられた。

あれだけ「勉強しろ!」 と、うるさく怒鳴っていたのに、その知識も資格も活かすことを許さず、結婚しろと言い出した父に私は振り回されていた。

ちなみに、私は人生で2度ほどのお見合いを経験したが、いずれも断っている。



私には大学を卒業したら一生生活に困らない相手と結婚し、専業主婦になることを望んだ父だが、4年後に妹が大学を卒業する時には、企業に勤めるようコネを使って妹を就職させた。

どこまでも姉妹の扱いは違っていた。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 36

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)