家族ってなんだろう(6)役割分担


父の敷いたレールに乗っかり、私が父の望む小学校に合格したことで、私を自分の思う通りの人間に仕立て上げようと決めたのだと思う。
たぶん、それは自分が厳格な父親からされてきたことの受け売りだったのかもしれない。

母から聞いた話では、その頃、父は「自分が長女教育をする」宣言をしたそうだ。
妹については母に任せることとし、家の中で役割分担制をとることになったという。


私が小学2年生の頃、文京区の家が人手に渡り、祖母は母の兄の家に引き取られ、両親と私と妹は公務員官舎に引っ越すことになった。
同居していた従兄弟は、すでに寮生活に入っていた。

団地タイプの官舎に引っ越し、親子4人の生活がスタートしたことで、本格的に長女教育が始まった。
それはイコール、父は祖母に遠慮することなく私を怒鳴れるようになったことを意味している。


私は遠い学校にバス通学していたので近所に友達は一人もいなかった。

近所の幼稚園に通う妹には団地内にたくさんの友達がいて、ちょっと羨ましかった。

妹は家に帰っておやつを食べたら遊びに出て行き、私は家に帰れば、食卓に広げてある4教科のドリルをやらされていた。
ドリルをやってからでないとピアノは弾けなかったから、急いで仕上げていた。
この団地に引っ越し、ピアノの先生も変わった。
6歳で始めたピアノだったが、8歳でソナチネに入ったのを機に、先生から
「ピアノがないとこれ以上は無理だ」
と言われて、中古のアップライトピアノを買ってもらえた。
ただし、父のいる時はピアノは弾くことはできなかった。

夕食の後、私はテレビを観せてもらえず、妹はテレビ見放題だった。

私にはおもちゃはなかったけれど、妹にはお人形やおもちゃがあった。
私は、その差に不満があった。
近所のお友達と遊ぶのに、妹だけおもちゃがないわけにはいかないのだと母は私に説明した。
私は自分でおもちゃを作っても捨てられるので、新聞紙を丸めてぬいぐるみ代わりにして、ひとりで密かに遊んだ。


最初の団地には1年ほどしか住まず、すぐに少し広めの団地に引っ越した。
と同時に、九州から上京して就職した私の従姉妹たち2人が同居した。

母は、自分とそれほど年齢の違わない彼女たちの世話をし、かなり疲れていたのではないかと思う。

私が学校から帰ると、妹は外で遊んでいて家にはおらず、母は昼寝をしていることが多かった。

私は母に甘えたかった。

だが、甘えることはおろか、ろくに話すこともできなかった。

最近、妹によく言われる。
「家族で出かけるとき、お姉ちゃんはすぐにお母さんと手を繋ぐから、私はお父さんと歩くしかなかった」と。
そんなことを思われていたなんて、つい最近まで知らなかった。

でも、家族で出かけることなど、1年に2、3度のことだ。
常日頃、夕食の支度をする母に寄り添ったり、夕食後にリビングで母と一緒にテレビを見ていた妹と比べて、私は母との接点はほぼなかった。
妹の幼稚園の送迎も母がしてくれていたじゃないの、と思う。
私が幼稚園の頃、妹が生まれたばかりだったこともあり、送迎はすべて祖母だった。
祖母のことを好きだったから良いけれど、他の子達はお母さんが送迎している中、私は母と手を繋いで幼稚園に行ったことはなかった。
母と一緒に歩いた経験もなければ、学校から帰っても寝ている母に話しかけることもなく、ドリルに向かっていた私だもの、と思う。

ただ、こういう不公平感を私も妹も大人になるまで感じていたということが、やはり歪んだ家庭のもたらす弊害なのだと思う。

きょうだいというものは、同じように育てようと思っていても、どうしても差が出てしまうのは自分が子育てをして自覚している。

が、父も母も、最初から長女と次女に差をつけるべく分担制をとっていたのだから、根本的に違う。

私が妹に対して羨ましく思うのと同じだけ、妹も私に距離を感じていたと思う。

妹が小学1年になったとき、私と妹に勉強机が用意された。
それまでの私は、父が昔使っていた古ぼけて引き出しの取っ手の壊れた文机だった。
父から従兄弟に引き継がれたものを私が使っていた。

5年生になって初めて、自分の勉強机ができた。
1年生になった途端に勉強机を買ってもらえた妹に対して、モヤモヤした気持ちを持った。

子供ながらに、何かにつけて妹の方が優遇されていると強く感じていた。

だから、私は妹に意地悪だったと思う。

そして母にも不満を持っていた。

私が父から大声で怒鳴られている時、母も妹も姿を消すことが悲しかった。

泣き腫らして、やっと自室に戻った私に慰めの言葉をかけてくれる家族は誰もいなかった。

「いつまで泣いているんだ!さっさと風呂に入れ!」
と、また怒鳴られている私が風呂場に行く時、母も妹も素知らぬ顔で冷たい視線しかなかった。

家庭内の役割分担制に対して、母はなんの疑問も持たず、私が父から怒鳴られていても知らん顔だった。
それはまるでよその家庭の話を隣で聞いているかのように他人面をして、私に慰めの言葉のひとつもなかった。
見て見ぬ振りを家の中で、実の母にされていた私の心は徐々に折れていく。


やがて私はトイレの柱に向かって喋るようになる。

どんどん私の心が壊れ、父に対してだけでなく母や妹に恨みを持ってしまうことに誰も気づかない不健全な家庭だったと思う。

事の重大性について、役割分担を決めた父は何も理解できていなかったのだと思う。

長女である私が良い学校に入っているというだけで、父はこの作戦は大成功だと思っていたのかもしれない。

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