家族ってなんだろう(5)両親の長女への思い

私にはおもちゃも絵本もなかった。(車と車の絵本は、引っ越しの時に消えていた)
生まれる前に用意されていた 岩波の「世界少年少女文学全集」50巻だけが本棚に並んでいた。

母は私にお菓子を与えなかった。
煮干しと、鰹節の削り終わりの小さいかけらと、バターの包み紙が私のおやつだった。
鰹節が小さくなって、もうすぐ私の手元に来るという時をワクワクして待つような子だった。
バターがなくなって、新しいバターをケースに入れる時をドキドキして待つような子だった。
日常的には、味噌汁の出汁に使う煮干しをひとつまみもらうのが、私の唯一のおやつだった。

父も母も、たぶん長女である私への期待が大きかったのだと思う。
そして、それぞれに持っていた理想の子育てを私にしようとしていた。

祖母の家に住み、従兄弟も同居しているような複雑な人間模様の中で、私はさまざまな思惑を感じ取りながら幼少期を過ごした。

文京区の家の近所には、母子家庭や夫婦共稼ぎのような家もあり、その子たちが私より少し年齢は上でありながら、よく家に来ていた。
たぶん、自分の家にいても親がいないので、学校から帰ると私の家に遊びに来ていたのだろう。
彼女たちは、それぞれの家でお小遣いをもらって駄菓子屋に行って好きなものを買っていたが、私は駄菓子屋に行ったこともない。

母が脅迫するかのように、何度も彼女たちに言い聞かせていたため、
「yu_mamaちゃんは食べたらダメだよ。お母さんに怒られるよ」
と、その子達は私に諭すように言った。
駄菓子屋の店内に入ることも私は許されなかったから、店の外でお姉さんたちが買い物をするのを見ていた。
お祭りに一緒に行っても、私には必ず祖母が付き添い、食べるものは一切買ってもらえなかった。



文京区で名門と言われる幼稚園受験をして、通っていた。
受験前に父が母に
「試験に落ちたら幼稚園に行かせない」
と言っていたのを盗み聞きしていたので、受かって良かったと4歳ながらに安堵した。
家からは少し遠い幼稚園まで、祖母が毎日送り迎えをしてくれた。

その幼稚園時代に、私はピアノと出会う。
どうしてもピアノが習いたくて、父に泣きながら頼んだが許しを得られなかった。

名門の幼稚園というのは、有名国立大学の付属小学校を受験する子が多く集まる幼稚園だった。
勉強以外は、この世で何の意味も持たないと思っている父によって、ピアノを習いたい願いは却下され続けた。
今でこそ、音楽は教養だと信じてクラシック通になった父だが、当時は音楽は遊びだと考えていた。

父にとって、遊びは罪悪だと考えられていた。
だから我が家には、おもちゃも絵本もなかった。
私は近所の子にもらったぬりえや、紙でできた着せ替え人形を父によって捨てられた。

1年間泣いて頼み続け、幼稚園の帰りに寄り道してピアノ工房から聴こえるレッスンを盗み聞きするほど熱心だった私に付き添っていた祖母の力添えで、根負けするかのように、6歳になった時、ピアノを習わせることを渋々受け入れた父だった。
父の望む小学校に私が合格したことで、父は何も言わず黙認してくれたのかもしれない。

ピアノは楽器もないまま、紙の鍵盤と、しばらくして祖母が買ってくれたおもちゃのピアノだけでバイエル、ブルグミューラーを終えた。
前々から習っていた年上の子をあっという間に追い越すスピードで上達し、初めて出るピアノ発表会で、かなりの難しい曲を弾いた。
父は子供の発表会など見に来るはずもなく、私のピアノは聴いたことがない。

5年生の時に、中学受験を理由に私は父によってピアノをやめさせられた。
中学1年でピアノに戻った私に、今度は高校受験を理由に1年の終わりにやめさせられた。

今、思う。もしもあの時、自分のやりたいことを否定されなかったなら、私の人生は少しは変わっていただろうか、と。

後にも先にも、私が積極的に自分から何かをやりたいと主張したのは、ピアノしかなかった。
中学受験を理由に、ピアノをやめさせられた時、友達の誰よりも進んでいたピアノが、そこで止まった。


その後の私の人生で、幾度となく親からも学校の先生からも、
「yu_mamaは、欲がない」
と言われ続けてきた。
子供の頃だけではない。
人生のいろいろな場面で言われてきた。

そうなのだろうか。
本当に自分は欲のない人間なのだろうか。

やりたいことを決して応援してくれず、否定され続ける中で頑張ってやり、それを続けようとしても道半ばでやめさせられ、禁止されることがいっぱいだったから欲を持たなくなったのではないか。

ピアノだけではなかった。

幼稚園の頃に描いた絵を否定され、そんな現実的ではない絵を描くな、と言われた。
小学生時代、おもちゃを持たない私は、こっそり自分で着せ替え人形を作ったが、それも見つかって捨てられた。
中学時代、家が引っ越したことで通学に時間がかかるからという理由で部活を辞めさせられた。
高校時代、友達と楽器のセッションをするためGWの休みの日に練習に行っただけで怒られた。
大学時代、教職の資格を取ったのに、教師になるなと言われ、就職もするなと言われた。

数え上げれば枚挙にいとまがないほど、次々と私のやりたいことを否定されてきた。

人のせいにするのは卑怯かもしれないが、
私のやりたいことは貫いてはいけない、やってはいけないのだと学習してしまった結果、欲のない人間になってしまったのではないか。

欲のある子に育てたかったら、絵本やおもちゃをある程度与えて、興味をあちこちに向け、未知なるものを知る喜びと楽しさを自然と教えなければ身につかないのではないか、などと分析するようになったのは、大学で幼児の心理や発達、小児科学を学んでいる頃のことだった。

そういうことを思うと、父もまた遊びを許されない子供時代を過ごしたのだろう。


時代を元に戻すと、

文京区の家からバス通学をしていた小学1年生の頃、2歳になっていた妹は、毎日お菓子を袋入りで与えられ、遊んでいる最中にも常にお菓子袋から好きなものを出しては食べていた。
長女には煮干しで、次女には甘いも辛いも取り揃えたお菓子の袋を与える不思議さは、今でも理解できない。
長女と次女の残酷なまでの躾の違い、教育方針の違いを見せつけられる思いだった。
お菓子を独り占めして、姉である私にくれることのない妹を可愛いと思ったことはなかった。

しかし、ちっぽけなおやつの差別だけでは済まなかった。
その後、ますます長女と次女を徹底的に差別し、同じ家に暮らしながら全く違う方針で育てられることになる。

おやつの件は、ほんの序章に過ぎなかった。

長女には「こうあらねばならない」という道が決められていて、そこからはみ出さないための禁止事項が多かったように思う。

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