家族ってなんだろう(3)父の結婚観

名古屋赴任に同行した母は、友達がいない寂しい生活を送っていた。
今のようにネットで世界と簡単につながる時代とは程遠い時代だ。
電話もないので東京と名古屋といえども、家族とも友達とも離れ離れで、お互いの様子すらわからない毎日だった。
もちろんテレビもない。
たった21歳のお嬢様育ちの世間知らずだった母は、いったいどうやって過ごしていたのだろう。
中国にいながら日本と密接に繋がっている今の私は、当時の母の寂しさを思うと胸が痛くなる。

そんな母にも、近所でやっと友達ができたらしい。
その友達に誘われて映画を観に行った。
帰りに喫茶店に寄ろうと言われ、母は父が帰宅するまでに夕食の支度をしなければならないから、と断った。
それでもその友達は少しだけでも、と強引に母を誘い、母もそれに従った。
きっと母も楽しかったのだろう。
話に夢中になったのかもしれない。
うっかりするうち夕方の遅い時間になってしまい、急いで帰ったらしいが父はすでに帰宅していた。

家に帰ったら妻がいないということで、父は猛烈に怒っていたらしい。
玄関に鍵をかけられ、ノックしても謝っても何をしても、父は開けてくれなかったという。
母は誰も頼れない名古屋の地で、家から締め出され途方に暮れた。
東京に帰りたくともお金も持ち合わせていなかった。
母は泣きながら、外で夜明かしをしたそうだ。

父が惚れ込んで強引に結婚した相手だ。
若い女性だ。
父は妻の不在を心配するうちに腹が立ったのかもしれないが、それでも相手の言い分も聞かずにシャットアウトするというのは、いくらなんでもひどくないか。
とくに慣れぬ土地でのことだ。
無事に帰ってきたことを喜び、泣いて抱き合うくらいのことがあっても良いシチュエイションではないか。

見知らぬ土地に自分が連れてきて、妻に友達ができたら、むしろ喜ぶのが先ではないのか。
しょっちゅう家事をほったらかしていたわけではない。
たった1度、初めてできた友達と映画に行ったら、楽しくて別れ難かっただけではないか。

母は、その時の話を病気になってから私に話してくれた。
21歳の頃の話を、70歳くらいになるまで、ひとりで反芻しながら理不尽な思いを持ち続けていたのだと思うと、私は悲しくなる。
「私は、あれっきり友達ができなかったの。友達は作ったらダメだと言われてね。家にずっといたの」
まるで21歳の娘と話しているような錯覚を覚えるほど、その時の辛さが伝わる話し方だった。

父は、たぶんそんなことがあったことなど忘れているだろう。
もしも、この話をしたとしても
「くだらない」
の一言で終えるだろう。

「女は男のために尽くすことが最高の幸せだ。友達なんかいらん」
とは、私が23歳の時に父から言われた言葉だが、生涯、父はその考えを曲げないのだろう。


父は子供時代に、自分の父親から支配されていたのかもしれない。
自分の自由はなく、父親の言う通りにしていないと怒鳴られるという日々だったのかもしれない。
そして家長たるもの、家族を自分の支配下に置くものと学習してしまったのかもしれない。

怒声で相手を威圧して支配下に置こうとする姿は、どう考えてもバランスの良い健全な夫婦とはいえない。

いつだったか忘れたが、父は私に
「お母さんは太っていて健康そうだったから結婚した」
と言ったことがあった。
そして、母は私に
「お父さんの職業は安定していて、死んだ後にも生活の心配がないから、と仲人からもおばあちゃんからも言われたから結婚した」
と言ったことがあった。

そういう両親のもと、私は母のお腹の中に宿った。

母は3度の妊娠を中絶の形で葬ってしまった。
 (その理由を明確に聞いたことはない。)

4度目の妊娠が私だった。




私のことも産まないでくれればよかったのに、、、と、思うことが、時々ある。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 14

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)