家族ってなんだろう(1)父の生いたち

大正14年、父は九州に生まれた。

上に5人の姉がいる末っ子長男として生まれた。

父の母は女系家族の長女で、その姓を絶やさぬため婿養子をとって結婚したので、何が何でも男児を生まねばならなかったのだと思う。
6人目にしてやっと生まれた男児に、それはそれは喜んだに違いない。
父の前の直系男子は60年前だったとのことだった。

せっかく生まれた男児を母親は愛情たっぷりに育てたかっただろうが、甘やかしを許さない婿養子の父親によって、私の父は厳しく育てられた。

6人もの子供を育てた母親は、若くして胃癌で亡くなった。
父がまだ中学生くらいの頃だったかと思う。

母親の愛情をあまり受けられず、しょっちゅう険しい顔で子供達を怒鳴っていた父親に育てられた父は暖かい家庭というものを知らないまま育ち、多感な時期に母親を亡くした。

どれほど後の事かは知らないが、後妻がきた。

父は、その継母とは合わなかった。

父は一番上の姉を母のように慕い、その家で世話になっていた期間もあったようだった。

婿養子で入ったという私の祖父は、武士の家系を守るという最重要課題を背負っていたのかもしれない。
長男である父に厳しかったらしい。
とはいえ、瓦職人の祖父ゆえ、跡継ぎにするつもりはなかったと思われる。

私が小学生の頃、1度だけ父が我が家の家系図を私に見せ、

「俺の父親はいつも怖い顔をして座っていて、よく怒鳴っていたものだ」
と、言っていたことがあった。

私がその祖父に会ったのは、4歳か5歳の頃だった。
上京してきた祖父を迎えるため、我が家は大騒動だったことを記憶している。
門の外で家族で並んで待ち、タクシーから降りて路地を歩いてきた祖父は、山高帽に黒いコートをまとってオシャレだった。
鼻の下にたくわえたヒゲが印象的で、時折、自分の指で髭を触っては整える姿を私は不思議なものを見る思いで眺めていた。
威厳を感じさせる風貌で、笑った顔の記憶はない。

その次に会ったのは、私が6歳の時だった。
祖父の急死の電報を受け取って、家族で24時間かけて九州まで行った。
田舎の家に着いてみると、祖父は、おでこに絆創膏を貼り付け、北枕の寝具に身を横たえていた。
家の瓦屋根を修理しようとしての転落事故だった。
私の幼稚園の卒園式の日、我々は九州へ向かう列車の中で過ごした。(卒園式には、東京の祖母が代わりに出てくれた)

その祖父のご遺体の前で、父が泣いて
「お父さん」
と呼ぶ姿を見て、男も泣くのだと、ここでもまた不思議なものを見る思いで眺めていた。


それから何年かの後、父は継母に家も土地も譲り、縁を切った。


父の生い立ちは、決して恵まれたものではなかったのかもしれない。

厳しい父と亡くなった母と後妻に来た継母という複雑な家庭環境だったことは間違いない。

祖父の方針だと思うが、父には勉強しか許されないような幼少期だったようだ。

父は、国立大学の付属小学校を受験して合格した。
将来の職業を、その時すでに決めていたそうだが、それは厳しい父親の決めた方向だったのか、自分で思い描いたものだったのか、そこは私は聞いたことがない。
ただ、これは俺の天職だと言っていたことは覚えている。

職業の詳細は書けないが、国家公務員、それが父の子供の頃に決めた将来の姿だった。

そして、実際に国家公務員になった。

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