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zoom RSS 1980年代 香港(9)ー入院編ー

<<   作成日時 : 2018/06/05 13:42   >>

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 会社の慰安旅行から戻って、どのくらいの月日が経った頃だったか・・・

 すでに、覚えていないのですが、、、。

 季節は冬に入っていた頃です。

 そう、Y夫人に誘われて、

 「ねえ、一緒に編み物しな〜い?
  毛糸を売っているところに、ご案内するわ」
と、半ば強引に手芸店に連れて行かれ、ベスト1着分の毛糸を購入した頃でした。


 当時、工場長夫人が本帰国し、そろそろ、後任の方がいらっしゃるけれど、まだというタイミングでしたので、会社の日本人妻は、Y夫人とS夫人と私だけという恐怖のトライアングル時期でした。

 私は、妊娠したかしないか、まだ判明しない頃(まだ、産婦人科医に行く前)、強い痛みと出血を起こしました。

 日本で、同じような早期の流産を2度経験をしていましたので、

 またか!

 との思いはありましたが、ここは香港、時代は昭和(関係ないか)

 どうすりゃいいのか!? まだ医者などかかったこともないし。。。

 
 こういう時こそ、頼れるのは会社の人ってことなんだな〜と考えながら、S夫人に電話をかけました。

 滅多に会わないS夫人を選んだのは、彼女が香港で妊娠、出産を経験していたからです。


 産婦人科医をご存知のはず、という理由です。

 実は、すでに深夜でした。朝まで我慢しようかとも思いましたが、緊急性を感じていましたので、とりあえず

 「夜分遅くにすみません」
と、連絡。

 すぐに完璧な対応をしてくださり、私は指定された病院に行くだけでした。

 S氏が病院にいらしてくださり、手続きから何から何までお世話してくださいました。

 香港の医療システムは、日本とは全く違います。いきなり病院に行っても、何もしてくれません。
 町の診療所で診察してもらって、入院の必要がある患者を病院に送り込みます。その入院患者を担当するのは、町医者です。病室を、その町医者が訪問するという形が入院ということになります。

 つまり、町医者にかかったことのない私が、いきなり病院に行ったところで、何もしてもらえないのです。

 それをS夫人から、町医者に頼んでくださったとのことです。

 まっくらな病院の待合室のような場所で、ぽつんと座って待っておりますと、ストレッチャーで人が運ばれていきました。
その顔の部分に竹で編んだザルがかぶさっていました。

 「???」

 「あれは、亡くなった人なんです。顔にザルをかぶせるんです」
と、S氏の説明。

 ところ変われば、、、です。 

 ザルって・・・思わず笑いそうになった不謹慎な私でした。

 
 結局、町医者はいらっしゃいませんでした。 お酒、飲んじゃってたらしいです。

 でも、入院できるよう、病室を確保してくださいました。そう、病室の確保は、町医者がしなければならないのです。

 そのまま私は入院しました。


 さ、翌朝です!

 病院では、入院患者のための食事が、いくつかのコースから選べるようになっていました。
 私は ウェスタンを選びました。
  

 朝から、ボリューミーなサンドイッチ、サラダ、コーヒー・・・・って、ここはカフェですか!?


 朝食を終えた頃、

 キターーーーーーーーーーーーーーーー

 医者より先に、

 血相を変えて走りこんで来たY夫人。

 ええ、S夫人ではなく、Y夫人でした。

 「もう、あなた〜びっくりしたわよ〜。
  今朝、Sさんから、昨夜のこと聞いたわよ。

  なんで、私に連絡しなかったの!?」

って、え??そこ????


 あれだけ気にかけて、毎日自宅に呼んであげたのに、、、っていうところでしょうか。

 私、一応、安静の身なのですが、ベッドの上でしどろもどろの言い訳に終始いたしました。

 「で、どうなの?」
と、言われましても、まだ医者にも会っていない朝ですし・・・。

 以来、毎日、毎日、Y夫人は病室にいらしてくださいました。お見舞いなんでしょうか??? 手ぶらですけど。。

 「あなた退屈でしょ」
と、言いながら、ご自分がたぶん退屈なのと、S夫人にとられてたまるか!という(なんで、そうなるのか知りませんが)闘争心みたいな、意地みたいなことで、毎日通ってくださいました。

 私は・・・というと、

 Y夫人に遅れること 2時間ほどだったでしょうか、

 初めて医者とお会いしました。

 「How are you?」
と、陽気に入って来た町医者は、私の顔色をみただけで、ものの3秒で部屋を出ていきました。

 え???

 診察なし? 問診なし??

 で、また夕方、自分の診療所の帰りにふらりと立ち寄ってくださいまして、

 3度目の流産になるので、もう少し安静を続けて経過を見るという話をするだけして、お帰りになりました。

 検査も何もしないのか??

 入院患者がされる血圧測定、症状チェックは、看護師がやってくれていますので、その報告がいっているのでしょう、と、勝手に解釈します。すべてが初めてのことで、想像でしかわからないのが、なんともね〜。

 
 とりあえず、黙って安静を続けるのみです。薬も何もありませんし、食事制限もありません。

 ウェスタンコースの食事は、ボリュームありすぎで、朝食後10時には「10時のお茶」として、大カップのミルクティーとクッキー(超甘い)が出たり、お昼にステーキなんかも出ちゃって、スープから始まるコース料理で、お腹いっぱいのところに、アフタヌーンティータイムが午後3時にあります。目一杯の紅茶にクッキーやらスコーン。
夕食も、かなりのヘヴィなコース料理が出て、夜の10時にも、ミルクタイムとして、甘い温めた牛乳がどんぶりで届けられます。

 そんなん飲めません。

 入院患者の身の回りの世話は、看護師ではなく、アマさんがしてくれます。

 アマさんというのは、いわゆる家事手伝いで、お子さんのいるご家庭では使っているお宅が多かったと思います。
家事全てをやってくれますから、駐在員妻たちは、よけいに暇を持て余すことになります。
 (Y夫人もS夫人も、お使いではなかったです。お金かかりますので・・・)

 基本、医者以外は英語ができません。広東語しか通じません。私はベッド上での安静ですから、トイレにも行けません。トイレのたびに、アマさんを呼んで世話してもらいます。

 同室の患者は、マカオに住むポルトガル人で、広東語も英語もできました。この彼女に、ずいぶん救われました。私の英語を、アマさんに広東語で伝えてくれましたし、私に必要な広東語を教えてくれました。

 そう、トイレに行きたい時の言い方など!

 
 Y夫人は、よっぽど暇らしく、編み物を持ち込んで、私の寝ている横でセッセと編んでおられました。

 そこまでしていらしていただかなくても・・・という言葉は飲み込みましたが、ほとほと疲れました。

 そんなこんなで1週間経過した頃、いい加減でケリをつけたかった私は、医者に面談を申し入れました。

 実は、その頃には腹痛も出血もほぼ治っていたのですが、どうやら全て勝手に流れ出てしまっていたようでした。

 それでも異物が残っているといけないので掻爬手術をしなければならず、医者からオペをすることを告げられ同意しました。

 海外での麻酔は強いと聞きます。麻酔から目覚めないで亡くなるケースがあることも聞いていました。

 これが、この世の最後かもしれない、と、病室の天井を眺めてから、手術室に向かいました。

 麻酔医が自己紹介をし、私の名前を確認したり、少しの会話をした後、

 「じゃあ、数を数えて」
と、言われ

 「ワン ツー ス」
そこで意識が途切れました。

 日本でも同じ手術を2度ほど受けていますが、

「イチ、ニー、サン、、、、ジュウナナ」
まで、記憶がありました。

香港のケースが、いかに即効性のある強い麻酔薬であるかがわかります。

 そして、手術後の目覚めは、日本でしたら、まだ手術台の上にいる時に覚醒してきます。

 医者と看護師のやりとりも聞こえますし、ぼんやりした風景が見えます。

 「もう少しで終わりますよ〜」
と、声をかけられ、台からベッドに移った後は、すぐに麻酔から完全に覚めて痛みを感じます。


 ところが!!!

 香港での手術後、ストレッチャーで運ばれた私の顔色は、真っ青で、とても生きているとは思えない様相だったらしく、そのまま、4時間、まったくピクリとも動かなかったらしいです。

 誰もが「死んだ」と思って諦めかけた頃、目覚めたようです。

 良かったです。顔にザルを被されなくて。

 目覚めた私は、頭ガンガン痛くて、ちょっとでも頭を動かそうものなら、目がくるくる回って、気持ち悪さの極み。

 用意されてそのままだった昼食も夕食も、もちろん手をつけられないまま、再び深い眠りにつきました。


 翌日には、身体からすべてが抜け出たのか、体調は戻り、退院手続きが取られました。

 その後、町医者の診療所に行きまして、いろいろとお話を伺いましたところ、私の子宮の中には、何も存在しなかったとのことでした。

 それなのに、あの激しい麻酔だったんですね〜と、びっくりです。

 死ななくて良かったです。

 
 今となっては、ブログネタになったのだから、これも良い体験だったということでしょうか。


 あ、その後ですか? ええ、自宅でしばらく安静にしていたものの、Y夫人からの電話が凄すぎて、、、

 すぐにコーラスに復活いたしました。 

 
 そうそう、Y夫人はベストを編み終わっていました。。。。私は毛糸のままでしたけどね。

 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
まあ なんてことでしょう。
一番苦しいのはユーママさんなのに、
苦しかったでしょうね。

最近、私も自分の気持ちとか立場とか周囲にわかってもらおうと思わないようにしていますが、どうしようもないことってありますよね。
どうせわからないなら、少し黙っていてほしいなんて思うこと良くあります。(笑)
パック
2018/06/06 06:43
パックさま
まあ、あんなこともあったな〜という、遠い昔の話ですのでね。
その当時の自分の感情は、忘れているというか、薄れています。
毎日、病院にいらしては、私の寝ているベッドの横で、セッセと編み物をなさっていたY夫人は、私が寂しいと思ってのことだったのでしょうね〜。

人の気持ちなんて、周りの人間がわかるものではないですね。詮索するしかなくなってしまいますし、それが合っているのか、、、見当違いなのか、、、

人の善意の気持ちには、なかなか否定もできないですし、、、
ストレス抱えますね。
yu_mama
2018/06/06 20:43

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