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zoom RSS 1980年代 香港(8)ー音楽編ー

<<   作成日時 : 2018/06/03 23:33   >>

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話があちこちに飛びますが・・・

 工場長夫人から、女性合唱団とピアノの先生をご紹介いただき、私の香港ライフは充実の日々へと動き始めました。

     ピアノは、街中にある楽器店でお安いものを買い求めていました。

     日本から楽器を運ぶのは、会社の規定でNGでしたから、現地調達しかありませんが、
     高湿度の地にあって、良い楽器を得たとしても、湿度管理が困難になりますので、
     壊れても狂っても構わない覚悟のできる範囲の値段で決めました。
     ソ連製の練習用ピアノでした。


 日本人クラブ女声合唱団は、30名ほどのメンバーで成り立っており、初心者からコーラスのベテランまでレベルはまちまちでした。

 指揮者とピアニストは、駐在員妻の中で音大出身の方が引き受けてくださっていました。

 が、ちょうど、ピアニストの本帰国が決まったところで、後任を探しているところでした。

 「はい!私、ピアノできます。
  歌には自信ないので、できればピアノ伴奏者がいいです」
と、私が名乗り出ました。(若かったよね〜〜。この積極性。。。今はないな)

 指揮者の方は、40代の素敵な方でした。有名私立の音大付属高校で音楽教師をしていたそうで、コーラス部の顧問もなさり、もちろん、自らも子供の頃からのコーラス好きという、なかなかどこを探しても出会えないであろう素晴らしい方でした。

 コーラスの伴奏もなさっていたという方でしたから、私は学ぶところが多くありました。

 指揮者の方は、某会社のトップの奥様でした。
そのお宅には何度もお邪魔させていただき、ご指導も受けることができました。

 このお宅というのが、香港島の中心部セントラルというところの高台にあり、それはそれは、カルチャーショックを受けるような大豪邸で、いつお邪魔しても、私は室内で迷子になるほどでした。

 指揮者の方の紹介に、私は「某会社のトップの奥様」という表現を使いました。
これが、当時の香港在住日本人の間では、常識でした。

 
 
 コーラスでも、どこでも、必ず

 「○○会社の 何々さん」
という言い方をします。

 私は、人様がおっしゃる分には構いませんが、自分から夫の会社名を言うのは気が進みません。

 「私、社員ではありません。」
と、思っているものですから、そのような名乗り方は致しませんが、コーラスに入ったきっかけが、工場長夫人ですから、私が言わないまでも周知の事実として、すでに知れ渡っておりました。

 面倒なことです。

 その会社の名前の何が大事かと申しますと、

 「領事館、プレス、銀行、商社、メーカー」 の序列をつける必要があるらしいのです。

 ああ、ますます面倒なことです。

 士農工商っていうんですか? 身分が会社によって決められているらしいです。

 ええ、うちはメーカーですが、なにか!?

 士農工商の4つに分けたとしたら、、、ランキングからこぼれ落ちていますが、なにか!?

 まあ、そんなこと、私には関係ありません。


 コーラスの練習は、毎週金曜日の午前中でした。10時に始まり、12時に終わります。

 「今日は、潮州料理行くわよ〜」

 「今日は、四川料理よ〜」

 「今日は、ベトナム料理ね〜」
などと、毎週、音頭をとってくださる方がいらして、ぞろぞろとついていき、ランチしておりました。

おかげで、いろいろなお店で美味しいものをいただけました。
その方、香港に10年以上もお住いで、広東語もペラペラですから、
ついていけば黙っていても美味しい食事がいただける幸せ。

 ほとんどが30代後半から40代の方で、60代くらいまでいらっしゃいましたが、さすがに音楽が好きな方々ばかりですから、明るく朗らかでよく笑います。 こういう中にいるのは、精神衛生面で大変に良いことだと感じたものです。

 コーラスに入ったおかげで、年長の方々から可愛がられ、大事にされ、毎週の練習が楽しみでした。

  
 このコーラスは、当時は、女声と男声があり、たまに混声をしていましたが、その後、現在に至るまで続いています。
 今では、女声、男声、混声が、毎週あり、音楽会では、それぞれが成果を披露しているようです。

 また、帰国した後もOB・OG合唱団として東京で活動しています。
今、私が日本で所属している地元合唱団に、香港帰りの方がいらして、時期は相当違ったものの、同じ合唱団で歌っていたことで、話は弾んでおります。

 私は伴奏者もしながら、時にはソプラノで歌ってもいました。 私が歌が好きになったのは、ここ香港での合唱経験が大きかったと思います。
 

 そんな充実のコーラス生活の他に、

 もうひとつ。

 私にはもったいないほどのピアノの先生に出会えたことは、一生の宝です。

 それまで、日本で子供の頃からの先生に、ずーっとついてきましたが、本格的なピアニストにピアノを習うのは初めてのことでした。

 芸大ピアノ科を卒業後、ドイツで勉強をなさってきた方は、母と同じ年齢40代後半でした。
イギリス人と結婚なさっていて、パッと見た限りでは、日本人に見えない美人でした。

 その先生のところに初めて伺った日、

 自信のあった ショパンのバラード1番を演奏いたしますと、

 「お上手に弾けていて、完成していますね。
  ところで、あなたは、バッハをお勉強なさいましたか?」
と、聞かれました。

 ズバリ!

 私は、バッハは全くスルーしてきて、勉強したことがありませんでした。
 日本の先生は、バッハは難しいから、誰にも弾けない、と考えておられました。
 私は、インヴェンションすらやったことがありませんでした。

 そこを、私のバラードを聞いただけで見抜く先生って、すごい!と、ただただ驚くばかりでした。

 

 そんなわけで、私がやってこなかった未知の世界を教わり、バッハの入り口に出会えたことはラッキーでした。

 ショパンのエチュード、モーツァルトソナタ、バッハインヴェンション という、上級から初級までアンバランスなテキストを練習しました。隔週で先生のレッスンを受けることが楽しみの日々でした。
 当時の先生のワンレッスンは、250HKドル(当時の換算で 1万円)


 Y夫人から、毎朝の電話はなくなりつつありました。私がピアノで忙しいことをご承知で、とくにコーラスの日は、電話をしても無駄なことを覚えてくださいました。

 
 それでも、なんのかんのと電話がかかってきて、

 コーラスに誰がいるのか!? 

 あの人は、どーだこーだ という話に、時にはつきあったり、お買い物と言われれば同行する生活は続きました。


 Y夫人いわく、会社の人間関係は何をおいても大事なのだそうです。

 面倒なことも続いていたものの、音楽の世界が広がったことで、私は十分に対応する余裕が生まれたものでした。


 ただ、前にも申しましたでしょ。

 良いことばかりでは ないのですよ。

 それは、また今度。
 

 

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
勤めてるところで 位付け たまらんなー それ あたしゃ 生活できない!
seizi05
2018/06/04 07:53
seizi05さま
当時の海外駐在者って、なんだか特権階級にいるような勘違いヤローが多かったのだと思います。
いわば、エリート意識みたいなのがあり、日本人の狭い社会でさらに上下関係をつけたがっていたようです。アホくさ!
この傾向は、1990年代のソウルでも、ありました。

しかも、これ夫の会社のことであって、妻はなんら関係ないと思うのですけど〜〜〜と、私は不満でしたね。

今じゃ、そんな上下関係って、ないんじゃないかな〜。
深センで、日本人とそんなにつきあっていないから、私にはわかりませんけどね。もっとも深センに出てきている日本人は、香港やソウルほど職種がなくて、メーカーが多いので比較にはなりませんけど。。。

ここ数年、退職後に海外で暮らす年金生活者が増えていますよね、いかがです???
序列の一番上にして差し上げますわよ〜〜〜。
yu_mama
2018/06/04 09:45
ユーママさんの楽しみはここが最初だったのですね。
文化会館なんてところでお仕事していますが、私は全く音楽とは無関係な経歴の持ち主ですが、こういうお話を読んでいるとなんだかワクワクしてきます。
パック
2018/06/04 13:19
パックさま
そうなのです。大学時代の合唱団は、歌のことより思想が先にあるような活動家の集まりみたいなところでしたから、歌のテクニックは二の次、音楽のなんたるや!というよりは、日本の政治がなんたらかんたら、、、というところで、歌っていた歌も偏っていましたから、本格的な合唱を知ったのは、この時代の香港でした。
ピアノも、素晴らしい先生につけたわけですが、この先生のお友達は日本でコンクールに出るような人たちをご指導なさっていらして、ワンレッスン5万円だったのですよね。それを思いますと、同じレベルの先生に、こんなにもお安くレッスンを受けられたのは幸せなことでした。

今までの日本での先生からの教えが基礎にあり、その上に、音楽の幅を広げていただいたという感じで、どちらの先生にも感謝しています。
yu_mama
2018/06/04 14:27

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