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zoom RSS 1980年代 香港(7)ー深セン編ー

<<   作成日時 : 2018/06/02 18:56   >>

驚いた ブログ気持玉 11 / トラックバック 1 / コメント 6

 私が香港の生活に、まだやっと慣れたかどうかという時期(着任から1ヶ月半くらいだったか)に、
会社の慰安旅行がありました。

 ローカル職員、工場勤務の若者達を連れての1泊旅行の行き先は、深センでした。

 なぜ深センか? 

 香港内では禁じられている花火をやりたい!という現地の子達の希望を組んで決まったようでした。

 慰安旅行自体が初の試みですから、まずは近場でやってみようということでもあったと思います。

 深センは、今でこそ超高層ビルが建ち並ぶ大都市ですが、当時は、舗装道路もない貧しい漁村でした。

 我々は、九龍モンコック駅から火車(フォーチェ=電車)で地続きの中国に入ります。

 羅湖の駅で降りると、小さな駅舎の中に、小さな窓口があり、そこがイミグレーションでした。

 滅多に外国人が訪れないものと思われ、我々日本人がそこから入国するのは、とてもとても時間のかかる面倒な手続きが必要な時代でした。

 そこを抜けると、調達してあったボンネットバスに全員が乗り込みました。
        (今のお若い方は、ボンネットバスをご存知ないと思いますが、
         私の子供時代は東京でもボンネットバス走っておりました。
         お腹の出たバス!と、呼んでおりました。 笑)

 総勢で20数名だったと思います。
 バスが通った道が、現在の深センのどのあたりだったのか、まったく見当もつきませんが、
 周囲の景色は荒地のような畑のような草ぼうぼう。
 バスは土煙をあげて、ガタガタ揺れながらの走行でした。

 バリーの靴をバシッと履いてきた社長は

 「おいおい!こんな道、俺は歩きたくないぞ〜」
と、バスの中でさかんに心配して叫んでおりました。

 舗装道路もなければ信号もない。たまに見かける人は、薄汚れた衣類をまとって、畑作業をしているようでした。

 到着したのは、湖でした。

 それがどこの湖なのか、、、

 何もわからないのですが、周りには何もなく、見るような風景も広がってはいませんでした。

 ダムがあり、ああ、ここの水が香港に買われているのかな〜と思ったくらいで、なんの印象にも残らぬ地でした。

 お昼を食べに入ったレストランは、ここ深センにあって、唯一の外国人向けのレストランらしく、立派な構えでした。

 大きな丸テーブルをいくつか占領しましたが、他に客は見当たりませんでした。

 レストランの名前もわからず、Y夫人は「ダムレストラン」と名付けておられました。

 出てきた料理は広東料理ですから、馴染みがないわけではありませんが、あまり箸の進むものではありませんでした。鶏肉とピーナッツ炒めくらいは、記憶に残っておりましたが、美味しいと思ったかどうか思い出せません。
(ってことは、美味しくなかったんだろうね〜)

社長は、

「俺は、ここで食べられるものがないからビールだけでいい」
と言い切り、本当に流動食(ビール)のみを流し込んでいました。

 そういえば社長は、会社でも近隣のローカル飯は食べられないと言い、炊飯器を置いてあり、ローカル女子社員にご飯を炊かせています。海苔の佃煮などでお昼ご飯にしているようです。
 (我が家も含め、社員は愛妻弁当です。食材乏しきところで、私は毎日お弁当を作り続けていました。)


 そんなこんなの昼食を終えると、トイレです。

 店の中にはトイレがありません。外にあると案内されれば、

 キターーーーーーーーーー!!!

 穴だけトイレです。

 トイレの建物は、外から覗けるほどのチャチな壁があるだけで、中は扉のない、ただの穴が長〜く続いている形状です。

 一応、こことここに足を置いて、しゃがむのだろう、という目安はわかりますが、そのお尻丸出しのすぐ後ろにも人が同じ格好をして並ぶみたいなトイレです。

 つまり、川のような細い溝をまたぐだけのトイレです。これをトイレと呼ぶのかどうかも疑わしいものでした。

 しかも、足を置くべき部分は、地面から3段くらい階段状のところを上がったところにあります。

 3段ステップを上がりますと、外を歩いている人と目が合います。

 そこでお尻を出すのですから、わざわざ表彰台に乗ってからパンツをおろすような感覚です。

 いえ、表彰台に上がったこともなければ、ましてや、そこでパンツをおろした経験はございませんけどね。

 さすがに、日本人は、どうして良いやら困ります。

 生理現象には勝てませんので・・・

 Y夫人、S夫人と私の3名で、交代で見張りをしながら、ひとりずつ用足しをしました。


 今でも、深センの一番の思い出といえば、このトイレです。
 当時の景色になんの印象もなければ、食事にもたいした記憶がないというのに、トイレの記憶だけは鮮明です。

 トイレを済ませたことで、一大事業を成し遂げたような達成感を感じ、あとは、どこに行ったのかも覚えていませんが、夕方になって、深セン唯一の外人向けホテルに到着しました。

 部屋は、簡素だったと思います。

 シャワーがあるものの、水しか出ませんでした。

 そこでも社長は、ビールを飲み続けて空腹を満たしていたようで、花火をするくらいの時間には、寝てしまっていました。ローカルの社員たちは、ワーワーキャーキャー 花火を楽しんでいました。



 翌日は、どこにも立ち寄らず・・・立ち寄るところなんかないし・・・バスで羅湖駅へと戻りました。

 バスが到着すると、周囲に子供達が集まってきて、小銭欲しさに手を出していました。
 
 貧しい貧しい深センの子供達の手が、今でも思い出されます。

 あの頃、手を伸ばしていた子達は、今は40代半ばでしょうか。

 今頃、どこで何をしているのでしょうか? 

 私は、ここにいるよ〜〜〜!

 

 

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タイトル (本文) ブログ名/日時
1980年代 香港(13)ートイレ編ー
 当時の深センのトイレ事情については、「ー深セン編ー」で記載しましたが、1980年代の香港トイレ事情も、それはそれは酷いものでした。 もっとも、男女別のトイレ表示はありますし、便器も設置されていましたから、深センの川タイプよりは随分と使い勝手はよかったと言えます。 ...続きを見る
アンダンテに・・・
2018/06/12 10:15

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます!
1980年代シリーズ、毎回、面白く楽しく読ませて頂いています。
ほ〜んと、素晴らしい経験をなさってますね。
私には、想像もつかないほどの・・・。

中国のトイレは、つとに有名ですが・・・って「夙に有名」と、時々は書くけれどどういう意味なのかな、大体はうすぼんやりと少しは(しつこい)分かるけど、と調べてみると、色々と出てきまして「ずっと以前からその物事の存在が知られているさま」のようです・・・・・脱線しました、ごめんなさいね。

そう、夙に有名ですが、それほどとは!
今はそんな事はないでしょうが、中国に行くと、必ずトイレの話が出ますね。
屋久島に一緒に行った方も、中国が大好きでよく行かれますが、トイレだけは・・と言ってましたし。

そんな思いをしてホテルに行き、水しか出ないシャワーで一晩?
お疲れ様でした。
まだ続きますよね・・・。
楽しみ〜!!
お啓
2018/06/03 08:18
昭和60年、北京の雍和宮(通称ラマ寺)傍の公衆トイレも1列の溝でした。寒くて腹の調子が悪くなり、貴重な体験をしました。全ての人が人民服姿の時代のことです。

2018/06/03 10:25
お啓さま
こんばんは。
こういう反応は、嬉しく、ホッといたします。自己満足で書いているところありますので。。。

素晴らしい経験ね〜。確かに、なかなかないかもしれませんね。

中国のトイレ事情は、今も地方に行けば、こんな感じらしいです。
つとに有名なのですね〜。(笑)つとっていう漢字、「夙に」なんですね〜〜〜。

今の深センは、ずいぶん良くなったと思いますが、使い手の衛生観念の問題なんでしょうけど、私は、なかなか慣れません。

当時の深センは、本当に今の姿が想像できない未開発の貧しい村でした。そんな中で、ホテルのベッドだけは快適でした。それだけでも奇跡みたいなことです。

連載の方向性が、あっちこっちなので、収拾つかないまま、続きそうです。書いているうちに思い出すこともありますし、こうしてコメントをいただく中にヒントもあって、、、ああ、そうだ!当時の香港のトイレ事情も書こう!!!とかね。
yu_mama
2018/06/03 23:07
kさま
昭和60年というと、1985年ですよね。その当時の北京も、そうですよね〜。納得できます。
今でも、たぶん、観光客の行くようなところはともかくも、そうではないところは、簡素かもしれません。。。
お腹の調子が悪くなると、本当に泣きたくなりますね、あのトイレじゃ〜。
私は、今でもお腹の調子を悪くしないよう、外では食べるのも飲むのも控えがちです。
深セン内での外出は、基本、トイレには行きません。
yu_mama
2018/06/03 23:13
yu_mamaさん、本当に稀有な体験をされているのですね。
海外駐在の奥さまがたの付き合いの難しさは よく聞きますけど、ここまでとは(~_~;)
ホント、ややこしい女の人っているものですよね。まあ、男の人も同じなんでしょうけど^^;

中国のトイレにプライバシーがないのは 私も聞いたことがあります。
今でもまだ こんな感じのところが多いのかなあ。まあ、都市部は だいぶ近代化されてるでしょうけど。。。
キーブー
2018/06/05 00:54
キーブーさま
なかなか望んでもできない体験をしております。(笑)
この当時は、とくにそういう時代だったのだと思います。女性だけでなく、男性もなかなか大変な時代でしたよ。ただ、男性は仕事という目的があって海外に出ていますし、仕事では上下関係があるのも当たり前ですけど、私は社員じゃないし!って、しょっちゅうブツブツ言っていました。

中国のトイレは、今でも地方に行けば、こんなものらしいです。今の深センは、さすがにトイレの形状はしていますけどね。 でも、深センの発展の勢いを見ていますと、トイレも変わりだしたら早いような気がします。
まだ、和式のタイプが多いのが現状です。。。
yu_mama
2018/06/05 01:11

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