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zoom RSS 1980年代 香港(22)ー私の食事情ー

<<   作成日時 : 2018/06/27 16:19   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 16 / トラックバック 0 / コメント 6

 当時、私が何を食べて日々を過ごしていたのか?

 ほとんど覚えていません。

 着任して間もない頃、工場長夫人に

 「ねえ、毎日何を食べているの?」
と、聞かれ、答えに困りました。

 「えーっと、昨日は、薬味のないソーメンでした。」

 市場に買い物に行くのは、週2、3回だったでしょうか。朝から出かけ、市場の中をあちこち回って、野菜、肉、魚などを購入します。家に戻れば、それらの始末をしなければなりません。

 当時は「ホタテの力」がありませんでしたから、野菜は塩水で洗うことが多く、茹でて冷凍する分と、そのまま冷蔵庫にしまうものなど、作業に時間がかかるのは今と同じです。生野菜は、いっさい食べませんでした。

 当時の香港では、外食でも生のサラダなどは出ていなかったと思います。現地の方々は、火の通った熱々のものを好みました。今のように、刺身を香港人が食べるなど、当時には想像もできなかったことです。

 肉は、ほとんどが豚肉の塊ですから、一部をトンカツの衣付けをした状態で小分けにして冷凍保存します。
残りを、厚めのスライス(薄く切れないという技術的な問題で厚めになります)と、ミンチ用にします。
ミンチは、日本から手動で肉を挽ける道具を友達が持ってきてくださいました。

 というのも、私が手紙で(当時は手紙しかないので)友達に
 
 「ミンチは市場で売っていないので、塊肉を自分でカットしています」
と、書き送ったので、遊びに来るときに抱えてきてくれたのです。
友達とはありがたいものです。

 魚は味噌漬け、みりん醤油漬けにしてから、小分けして冷凍します。

 これら食材のほとんどは、毎日のお弁当のおかずとして消えていきます。

 接待が多く、夫は夕食を家で食べないことが多いため、私はひとりでインスタントラーメンをすすっていたような気がします。

 月曜から土曜までのお弁当作りに精魂尽き果て、そのほかに何を食べていたのか、何を作っていたのか?覚えていないというのが実のところです。

 知らないうちに、体重がどんどん減っていたようです。

 日本人向けの健康診断で、医者から
 「もっと太らないと、ダメだよ。痩せすぎだよ」
と、今では絶対に聞くことなどないご注意を受けました。

 後にも先にも 「太りなさい」と言われるなんて、この時だけです。
 
 もう一生涯、ないことです。

 この言葉は、我が家の家宝にも匹敵します。



 香港暮らしが軌道に乗り始めた頃だったでしょうか、正確な年月を覚えておりませんが、香港島の銅鑼湾(トンロー湾)中心部の大丸付近に、三越ができました。 そこにヤマザキパンが開店し、香港人も日本人も大勢で押しかけ、あんぱんのために行列ができました。

 あのヤマザキパンが、この世のものとは思えないほど美味しく思えたのですから、どれだけローカルのパンが美味しくなかったのか?が、わかるというものです。

 私のように九龍半島に住む者にとっては、大丸も三越も、なんで、香港島ばっかりなの〜?と、嘆きたくなります。

 嘆いてみるものですね。

 私の嘆きが届いたようです。

 三越進出から、少し後だったと思うのですが(これまた、よく覚えていませんが)念願の日系デパートが、九龍半島にも進出してきました。
チムサーチョイの新世界中心(サンサイガイチョンサム)=New World Center に、小規模ながら東急デパートができました。

 今のコンビニより狭いスペースですが、日本食材を置くミニスーパーができました。
 なんといってもサンジェルマンができたのは、パン好きには嬉しい限りでした。

 千切りごぼうや、サンジェルマンのバゲットが買えるようになったことは、何よりの喜びでした。

 卵は、日本人家庭に宅配の形で毎週、たまご屋さんが届けてくれるシステムがあり、着任早々にY夫人から教えていただいていました。ただ、1度の注文が30個単位だったので、毎週、Y夫人から10個ほど分けてもらっていました。

 東急デパートができたことにより、普通にパック入りの卵が買えるようになり、Y夫人宅に卵を取りに行くこともなくなりました。

 香港人たちは、青空市場でリヤカーの屋台のようなところでバラで売られている卵を買います。

 ローカルの方々が、リヤカーに吊るされた裸電球に卵を透かして、血液の混じりや鮮度を目視検査している姿は目にしていましたが、現在の深センと同様に、ローカルの卵に不安を感じるので、私はいつもスルーしておりました。

 K夫人を市場にお連れした何度目かのときに、卵を電球に透かして見ている人たちを指差して

 「あれって、%&#$#%&??」

 例の小さな声で、何かをおっしゃいました。
モゾモゾいうのを聞き取るのが面倒になっていた私は、聞こえなかったのに聞き直しもせずに適当に頷きました。

 常識で考えたら、検卵していることくらいわかるでしょうから、それをわざわざ確認するための質問だろう、と想像して適当な返事をしたのでした。


 後々、会社の方々の噂に上り、

 「yu_mama !卵の中に虫はいないぞ!
  Kさんに、卵の中に虫がいるかどうかを光に当てて見ているって教えたんだって〜」
と、笑われました。


 「・・・?? そんなこと言ってませんけど〜」

 どうやら、あのとき、K夫人は、

 「あれは、卵の中の虫を見ているのですか?」
と、私に質問していたようです。

そこに私が頷いたものだから、

 「yu_mamaさんが、あれは、卵の中に虫がいるかどうかを確かめているって言ってた」
という話になったようです。


 ンなワケないだろーが!

 完全なる捏造です。

 私は無実です。冤罪です。

 こうして人は陥れられてしまうのですね。

 気がつけば、会社中(特約店も含めた男性たち)で私が笑い者になっていたようです。

 K夫人の天然は、人へも影響し、、、

 貰い事故もあるのだ!

 怖い!手強いぞ!!

と、学習いたしました。



 と、話が逸れました。

 閑話休題。


 日本食材が入手できるようになり、私の食生活はかなり充実しました。

 香港島のセントラルに住む日本人の方から教わったミート・ショップには、輸入の牛肉や豚肉の冷凍スライスがありましたから、分厚くしかカットできなかった悩みも、これで解消されました。
すき焼きなどをする時には、フェリーで島に渡って買うことができました。

 ピアノの先生がお住まいになっているところが、セントラル地区の丘の上でしたので、レッスン帰りに肉を買ってくることもあり、献立の幅が広がりました。
(って、偉そうに書くほどではないと思います。なにしろ、何を食べていたか覚えていないくらいですから)

 
 冷凍食品や半完成品などは入手できない環境にありますし、食材も日本のようにきれいな形で売られていませんので、キッチンに立つ時間は長くなります。なんでも一から手作りです。
 (だから、そんなに偉そうに書くほどではないってば)

 1980年代の香港で暮らしたら、今の深センでの生活は便利なものです。
 それでも、文句たらたら面倒だな〜と思いながらの毎日。

 いかに日本が至れり尽くせりで、便利で安心で安全なのか!ということですね。

 もしくは、私がブツブツと「文句言い」なだけかもしれませんが・・・。

 
 



 *便利で安心安全な日本に、そろそろ一時帰国いたします。
   しばらくバタバタして、ブログ活動ができないと思います。 
   再開の折には、またよろしく応援してくださいませ  

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
日本人は本当に相手の気持ちを察することができる国民だと思います。
農業においても収穫近くになると残留検査といって農薬が作物に残っていないか検査をします。そのためにある時期を過ぎたころには消毒をしなくなるルールが農家には定着しています。ただ単に作物を作っているのではありません。
畜産物を出しているところでもきめ細かいルールがあると思います。
このきめ細かさは日本人ならではのものだと私は思います。
パック
2018/06/28 20:05
お久しぶりです〜!!!(^^)!
元のように、元気になりました。
いつも、温かなコメントを頂いて、ほんと、嬉しいです。

香港の・・というよりも、中国の食事情って、私たち、いやいや私が考えているよりも、ずいぶんひどいものでしたね。
なにせ、一週間分のお弁当を作るのに苦労なさって痩せられたのですから。

でも、そんな中、yu_mamaさんは生き延びていらっしゃる!
そしてこんな面白い物語を書いていらっしゃる!
凄いことですよ。
このところ、遠ざかっていましたが、また、読み始めているところです。
本当に口調が軽快で、しかも書き慣れてらっしゃるところがあり、読みやすくて楽しいです(*^^)v
お啓
2018/06/29 08:02
パックさま
農業も消費者のことを第一に考えて、安心安全なものを作っているのですね。
相手を思うことは、いずれは自分にも返ってくるのだと思います。
ルールがあるから守るのではなく、良いものを提供したいという気持ちが込められているのでしょう。

中国は、農薬の基準がそもそも日本とは違います。
野菜は野菜専用の洗剤で洗うのが常識なので、そのつもりで作られているのかもしれないです。人口も多く、それだけ消費するわけですから、その分を生産するには効率よく育てなければなりませんから。
私は、ほとんどの野菜は皮をむいて食べています。ナスもキュウリもトマトも。
なぜか知らないのですが、玉ねぎは皮を剥いた状態で売られています。あの茶色の部分がありません。だから、私は本来食べられる白い部分を1枚剥がして捨てています。

日本の野菜、果物は、本当においしいです。
今、日本の味を堪能しています。生野菜が手軽に食べられるのが、嬉しいです。
yu_mama
2018/06/30 00:54
お啓さま
退院おめでとうございます。
もう、ビックリいたしましたよ。
でも、快復の早さにもビックリです。

当時の香港では、食糧調達が主婦の1番の仕事だったかもしれません。買ってきた材料の始末も、主婦歴の浅い私には大変な作業でした。そして何よりも大変だったのがお弁当作り。

まあ、痩せたのは精神的なものが大きかったとは思います。あちこちに気を使わなければならない時代でしたし、環境に慣れるのも大変でしたし、、、18キロ痩せましたから、そりゃ、痩せすぎって言われますよね。その前が太りすぎだったのもありますけど。

この当時のこと、書いているうちに、こんなこともあった!と思い出しながらですから、私自身が一番楽しんでいると思います。

今、日本に帰ってきて、ドタバタしております。また、時間が取れる時、ゆっくりとブログにお邪魔いたしますね。
何はともあれ、お元気で良かったです。
yu_mama
2018/06/30 01:01
おーい ああた さびしいよー
seizi05
2018/07/01 07:09
seizi05さま
わ〜い、ラブコールですね〜〜〜
日本、忙しい日々です。バッタバタ!
yu_mama
2018/07/03 00:15

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