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zoom RSS 1980年代 香港(20)Y夫人の帰国ー

<<   作成日時 : 2018/06/23 16:45   >>

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  何かとネタ提供でご登場いただいていた主人公 Y夫人が、とうとう帰国決定となったのは、先陣達が帰国してから、約1年後のことでした。香港滞在そろそろ5年か、という時だったと思います。

 海外生活は、3、4年の任期が多かったと思いますので、Yさん家族は長い駐在でした。

 今の海外では「本帰国」と言いますが、当時は「永久帰国」という妙な言い方をしておりました。

 言葉はどうでも良いですが、永久帰国が決定する少し前くらいから、Y夫人は新しくできたママ友とべったりで、K夫人と私には、あまりお声がかからなくなっていました。


 思えば、当初は Y夫人のお誘いで、私はあちこち振り回され連れていっていただきました。

 「yu_mamaさ〜ん、象牙のパーティーがあるの。行きましょう」
と、言われて、どこかの会社のトップのお宅に行き、欲しくもない象牙のネックレスを買うハメになったり、

 「yu_mamaさ〜ん、タッパウェアのパーティーがあるの。行きましょう」
と、言われて、どこかの会社のトップの方のお宅に行き、欲しくもないタッパーを買うハメになったり、

 「yu_mamaさ〜ん、バティックのパーティーがあるの。行きましょう」
と、言われて、どこかの会社のトップの方のお宅に行き、欲しくもないバティックのマットを買うハメになったり、

 「yu_mamaさ〜ん、上海からレースの方が来るので、行きましょう」
と、言われて、どこかの会社のトップの方のお宅に行き、欲しくもないレースの小物を買うハメになったり、

 「yu_mamaさ〜ん」
 「yu_mamaさ〜ん」
 「yu_mamaさ〜ん」

 アムウェイの洗剤、お鍋、陶器のお人形、、、、、

 アラフォーの方々は、暇と小金を持っていましたから、なんだかんだとパーティーと称して、商品紹介の集まりを数多く開いていたのですね。

 しかし、この集まりをしてマージンを懐に入れている方がいるわけです。
 私は、そのあたりが妙に気になっていましたが、 Y夫人は、そういうところには頓着ないようで、様々な会社のトップの方と人脈があることがステイタスだと感じていたようです。

 いつも「私は、どこどこの会社のトップの方を知ってるの」というのがご自慢のようでした。

 おかげで、私も色々な方と知り合うことはできましたが、私にはどうでも良いことでした。

 何はともあれ

 Y夫人の永久帰国が決定したことは、ご本人のみならず私にも喜びでした。

 
 会社での送別会や、奥様会での送別会が開かれ、私は歓喜の様子を抑えつつ

 「寂しくなります」
と、しおらしくしておりました。




 ご家族が日本にお帰りになる日は、仕事を中断して会社総出で空港に出向き、お見送りします。

 ご夫人のお友達が空港にたくさんいらして、お見送りしてくださるのが習慣です。

 あの日。

 学校関係のママ友さんたちは、どなたもいらっしゃらず、女性は奥様会のメンバーだけでした。 
 あのべったり友さんもいらっしゃらなかったことは意外でしたが、すべてがわかったような気がした瞬間でした。


 良くも悪くも、私には最も印象に残る人物でした。
行動、考え方が独特で印象に残ったというのもありますが、見た目にも忘れられません。
彫りの深いお顔は、どこかの原住民的な人相で、歯茎を出して笑う素敵な笑顔が今でも思い出されます。

    ディスっていませんから

 これからは、電話もなければ振り回されることもなくなると思うと、ホッとするような・・・ちょっと寂しくもあるというところだったでしょうか。



 <オマケの後日談>

  こんなお別れの仕方でしたが、その後、年賀状のやりとりだけは続けておりました。

  何年後だったか、、、Y夫人からのご連絡で、K夫人と共に日本のY夫人宅にお呼ばれしたことがありました。
 
  私が韓国に赴任することを年賀状でご報告したので、送別の意味でお声がかかりました。
  K夫人も私も2人の子持ちになっていた時代です。

  その時、Y夫人から言われたのが
   「あのころ、私、あなたの出身校なんて、たいしたことないと思ってたけど、
    娘が高校受験の時に知ったの。すごい偏差値の高い高校だったのね〜」
  って、今更ですか。(笑)

   確かに、そういうことありました。私の目の前で、私の出身校をディスるということ、ありましたねぇ。

 人間、誰だって間違いってあるもんです。
 
 その日も、どこかの原住民的笑顔は健在だったのが、印象的でした。

 

 韓国に行ってから、私は人間関係を整理したもので、Y夫人との連絡は途絶えてしまいました。
 
 今、どうなさっているのか!? 

 あの素敵な笑顔は、今も変わらないのでしょうか。。。 

 
    ディスっていませんよ。
 

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
Y夫人の退陣なんだか寂しいような気がします。
かなり勝手なこと言っていますよね。(笑)
ずっと読んでいて、ユーママさんが二十代の四十代っていうと80代ぐらいになるのでしょうか?
調度両親の年代と同じぐらいなのでしょうか。
お元気にしているのでしょうか?
また会ったこともないのに勝手に心配している

パック
2018/06/24 06:45
やれ やれ
seizi05
2018/06/24 08:38
パックさま
Y夫人は、良くも悪くも、あの時代の海外の奥様の姿そのものだった気がします。今時、あんな人は海外にいませんが、どこかで勘違いしたまま香港での生活をなさっちゃったみたいです。
そういう素敵なキャラとご一緒できたことは、私には強烈な思い出であり、今となっては懐かしいです。こうしてブログネタにもなったので、感謝しています。

もう80代ですよね。体が弱いとおっしゃっていて、お仕事もなさったことのない奥様でしたから、きっと良い人生を送られて、今もお元気かもしれないです。

お会いしてみたい気もしますが・・・。
yu_mama
2018/06/24 23:03
seizi05さま
はい、やれやれでございます。
この時代、海外ではこんなことが繰り広げられていたんですよね〜。
私は、こうして大人になりました。
yu_mama
2018/06/24 23:08
香港シリーズになってから、夜ベッドに入ってから、スマホでコメントもせず、読み逃げさせてもらってました〜
スマホの文字入力は苦手で〜
スマホゲーム等は全くしないので、yu-mamaさんのブログは唯一読み応えがあります〜
長編なので読むのが遅い私は、読み終わるまでに画面が黒くなることが度々〜


たぁくんママ
2018/06/25 07:32
たぁくんママさま
香港シリーズ、こんなに続けるつもりもなかったのに、なんだかここまで来てしまいました。
Y夫人が帰国したことで、これにてネタもなくなったかな〜。(笑)

いつも長文におつきあいいただきまして、ありがとうございます。読み逃げ OKです
夜ベッドに入ってから、スマホでお読みくださっているのですね。実は、私も自分のブログを夜にスマホで読みながら寝落ちすること しばしばです。
yu_mama
2018/06/25 14:58

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