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zoom RSS 1980年代 香港(19)ー平日の過ごし方ー

<<   作成日時 : 2018/06/21 17:08   >>

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日曜日は、こんな感じで過ぎていってしまうのですが、平日はどうだったか!? と、申しますと、これが現在の私とは大違いでした。


 着任早々から、自分の住んでいるところの土地勘を養うためにも、ひとりで精力的に行動しておりました。
 あの頃の爪の垢を、今の引きこもりの自分に煎じて飲ませたいくらいでございます。

 Y夫人のお誘いが来る前の早朝に家を出てしまうこともしばしばでした。
 こういう時、携帯電話がないというのは、都合がよろしいものです。
 (ただ、戻ってから、うっかり電話に出てしまい、Y夫人のお宅に向かったこともしばしばでした)

 まず、家の前のバス停に来るバスのナンバーをメモします。
 当時の香港のバス停には、停留所名がありませんでした。
 自分の家に帰って来るには、何番のバスに乗れば良いのか、とりあえず、それをメモりました。
 1、1A、5、6 、206 などいくつかあったと記憶しています。

 次に逆方向のバス停に行き、とりあえず、「チムサーチョイ」行きのバスに乗ります。 
チムサーチョイというのが、九龍半島の1番の繁華街であり海沿いにある中心地一帯の地域です。
有名な高級ホテルペニンシュラがあり、伊勢丹があり、賑やかな街です。
そこで日々の買い物をするわけでもないのですが、とりあえず、バスに乗ること目的で街に行ってみよう!そんなノリでした。

 
バスは、同じバス停から乗って、同じチムサーチョイに行くにしても、番号によってルートも値段も違いました。

 もちろん、当時は今のような交通カード(八逹通=オクトパス)などありません。
 小銭を数えて握りしめ、来たバスによって料金を払っていました。
   (今より不便でしたが、頭は使っていたな〜としみじみ)

 2階建てバスが一般的ですが、当時は、観光バスのような「デラックスバス」が走っていました。
デラックスバスは、その名が示すように座席もデラックスなら乗車料金も普通の2階建てバスの2倍以上でした。

 うっすらとした記憶によりますと、、、(って、ほとんどのことが、うっすらの記憶による記述が続いています)

我が家の前から、1番だと80セントで、1 Aなら1ドル20セント、デラックスバスは2ドル50セントだったと思います。
遠い昔のことで、微妙な記憶違いはあると思いますので、細かいツッコミはご遠慮願います。
 (当時の円換算は、2ドル50セントが 100円でした。)

 デラックスバスは値段が高いこともあり、現地の方はあまり利用されず、欧米系の方々がよく乗っておられました。
 このバスは着席のみなので、満席になれば通過されます。立っては乗れないということです。

 2階建てバスの方が圧倒的に本数が多いので、私は来た方に乗るようにしていました。

 が、当時の2階建てバスは、とても汚かった!!

 現在は車内での飲食禁止ですが、当時はバスの中での飲食規制はありませんでしたから、床には鶏肉の骨が転がっていたり、飲み終えたカップが捨ててあったり、バスの座席にも、食べかすがぼろぼろと落ちているというありさまでした。

 家からチムサーチョイまでは、それほど遠くないので、ほとんど私は立っていました。
 2階建てバスの2階部分は立ってはいけないルールですので、1階の出口付近にいつも立っていました。
 (2階に立つとバスのバランスが悪くなるので、禁止です。
  時々、山道のカーブなどで重心の崩れたバスが倒れるという事故が起こります)

 
 現在と違って、当時の香港は治安が悪かったため、裏通りは歩かないというのが鉄則でした。

 ブティックで試着室に入ったら、そのまま誘拐されるという噂もまことしやかに流れていました。
 街ではスリ、ひったくりが横行していましたし、物乞いの人が数メートルごとに座っている状態でした。
 
 宝石店や銀行には、ライフルを持ったウォッチマンが怖い顔で入口前にいるのが当たり前でした。
 銀行で、ウォッチマン同士の争いにより、ライフルが発射され一人が死亡するという事件もありました。
 
 バス停で並んで待っている時に、女性のスリが財布を取り、それを追いかけた人がスリの髪の毛をひっつかんでいる場面に遭遇したこともありました。

 旧正月前には、買い物から帰ってきた日本人主婦が強盗につけられ、家のドアを開けた瞬間に刃物をつきつけられたという事件があり、領事館から注意勧告がありました。

 
 外出時には常に緊張感を持ち、日本人だとわからぬようスッピンで出かけておりました。
 当時の香港の女性は、化粧をしない人がほとんどでした。日本人のアラフォー女性が狙われるのは、明らかに美しく化粧していて洗練されていて目立つからでした。

 幸いなことに、私は現地で現地の方に道を聞かれるほど、土着化しておりましたので、怖い思いをしたことは一度もありません。

 日本人観光客からも、カタコトで道を聞かれ、日本語で説明したら

 「あなた日本語上手ね〜」
と、言われるほど、香港人になりきっておりました。

 

 あの時代、日本人が狙われるのも無理のないことでした。

 バブルの時代でしたから、日本人旅行者が買い物目的で大勢来ていました。
言われるところの「農協さん」スタイルです。
航空会社のバッグを斜めにかけ、首からカメラをぶら下げている、あの図です。
実際、私の友人が婚約者と香港にいらして、旦那様になる方が航空バッグを提げて宝石店のショーウィンドウを眺めていたところ、スリにバッグの底を切られて、貴重品を盗られました。



 日本人の団体を乗せた大型の観光バスが、ブランドショップや高級デパート、宝石店に横付けし、ぞろぞろと入店してお買い物を大量にされる光景も日常によく見かけました。
 
 今の中国人が銀座や秋葉原で爆買いする姿と重なります。

 当時の日本人は、決してスマートなマナーを知っている方々ばかりではありませんでした
    ・・・むしろ、知らない方が多かったので・・・
スーパーのタイムセールでじゃがいもの袋詰めをしているかのような様子で、4、5万円もするエルメスのスカーフを鷲掴みにする様子は、とてもじゃないけど正視できるものではありませんでした。
 
 (エルメスの前にバス停があり、私は指をくわえてガラス越しに見ておりました。)

 ペニンシュラのヴィトンやエルメスでは、日本人観光客が集団で入店すると鍵をかけ、買い物が終わってバスで去って行った後には、棚の商品が空になるという具合でした。

 バブリ〜〜〜

 その様子は、欧米人から鼻つまみモノでした。
私も、あの姿を見て、自分は絶対にブランドは買わない!と心に誓ったものです。
   (誓わなくても先立つものがなくて買えなかったんですけどね。。。)


 そんな具合で、私は繁華街にバスで行っては、買い物もせずに家に帰ることを繰り返し、土地勘を身につけました。

 家周辺に来ると、降りるタイミングを見計らうのに緊張していました。
 バス停に到着前の車内アナウンスも何もありませんから、自分で降りる場所を把握しておかねばなりません。
下車したい場合には、天井についた黒いゴムベルトを指で押すと、運転手に下車希望が伝わるという仕組みでした。

   
 
 ある日、マミちゃんと


 「ワンピース作ってみたいね」
ということで、布を探しに行ったことがありました。

 当時、日本人マダムの間では、洋服の仕立てが流行っていました。私たちには、なかなか敷居の高いことながら、思い切って、ふたりでトライしよう!ということになったのです。

 まずは、布を買いにチムサーチョイに出かけました。

 現在もある大型客船の寄港するオーシャンターミナルというところに、ショッピングモールが併設されており、その入口あたりに「中芸」という中国の名産品を置くデパートのようなものがありました。

 
 そこに中国シルクが売られていました。
数多くの布があるものの、それらはチャイナ服の用途で置かれていますので、かなり派手派手な色と大きな柄があり、なかなか日本人の若い人が好むものは見つかりません。

 地模様のある無地の布を見つけたマミちゃんが
 「私、緑色にするから、yu_mamaは紫にしたら〜」


 「やだ〜。風呂敷みたいじゃん」


と、 答えたものの、、、、

 最終的にレジに持っていった布は、その紫でした。

 「風呂敷みたいって言ってたのに〜〜〜」
と、ゲラゲラ笑われました。


 仕立屋さんは、自宅に来てくれて採寸し、後日できあがりを持ってきてくれるというシステムでした。
 デザインは自分で雑誌などを見て指定します。
 私は、自分の持っていたワンピースと同じ形で作ってもらいました。

 できあがりは、体にぴったりしているので、残念ながら今では腕すら通りません。

 あのワンピース、解体して風呂敷にしようかと思っております。

 


 そんなこんなで、平日は、コーラス、ヨガ、ピアノ、Y夫人、マミちゃん・・・・・

 
 若かった当時の私は、隙間時間を有効に使って動き回り、楽しい思い出もたくさんできました。

 
 ソファに横たわり涅槃像になっている現在、あの頃の活力が少しは欲しいものでございます。 

 

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
下車するときは天井についた黒いゴムベルトを指で押す!?まさか紐を引くわけじゃないのでしょうが、プザーじゃないのですね?
案内もなくて自分で判断するなんて日本人ならすぐ苦情ですねえ 銀座のあの中国人の群衆、そうかあうん十年前の我々だったんですねえ
サヤ侍
2018/06/22 22:53
サヤ侍さま
バスの1階の天井に1本の黒いゴムベルトが貼り付けてありまして、それを押すとペコっと少し凹み、運転手のところの何かが光って知らせる仕組みのようでした。

日本のバスって、本当に親切で丁寧でビックリします。まず、乗客が席に着くまで発車しなかったり、停留所名はアナウンスするし、バスが止まってから席を立ってください!って、待っててくれるし・・・。

今の中国も当時の香港も(今の香港も)、まず運転が荒いし、乗客が乗ったか乗らないかのタイミングでいきなり発信するし、降りるのもスピード勝負ですからね。
混んでいて前の人に続けて降りられないと、すぐにドアを閉められます。すぐに発車しそうになるので、
「落車!」(降ります)
って大声で叫んで、ドアを開けてもらいます。まだ、降りている人が続いていても、ドアを閉められることがありますから、ドキドキ。サバイバルです。

銀座の爆買い中国人のこと、私は何も言えません。香港で、あの時代の日本人は評判悪かったですから・・・。
yu_mama
2018/06/23 14:51
今でこそクールジャパン、なんて言ってるけど・・・昔はホント、ブランド店などではヒンシュクをかってましたもんね。そんなところに出入りしたことのない私ですら知ってるくらいですから(笑)

それにしても、すごい行動力ですね
私は、バスは国内ですら めったに乗りません。間違えたら とんでもない場所へ行っちゃうから^^;
それでも国内なのだから、まさか帰って来れないなんてこともありませんけど (笑)、それですら、私はイヤなのでありますね^^;

私が yu-mamaさんの立場だったら、家からたぶん一歩も出ないです。
ってか、前の方の記事であったように、なんだかんだと理由づけして帯同しない奥さまと同じことをしてたと思います^^;
キーブー
2018/06/24 18:43
キーブーさま
バブル期は、日本人がこぞって海外旅行をし始めた頃ですよね。その頃、パリにいた友人も、日本人がブランドを買い漁るのをフランス人から非難されて、説明に困ったと言っていました。フランスでは、高級なブランドバッグを買えるのは、自分で働いて貯金をして、やっと生涯にたったひとつのものを買うという感覚で、しかも、それを自分の娘、そのまた娘へと譲り渡し、大事に使うものだそうです。
それが、日本人の大学生などがブランドショップで、あれもこれもと買い漁るのを見て、フランス人は本気で怒っていたようですよ。
たくさん持っていることを自慢するために買うような時代でしたものね。

香港時代の私は若かった〜〜
好奇心も旺盛な年齢だったし、治安のあまりよくない土地でしたから、タクシーはなるべく一人では乗らないようにしていましたのでね。バス利用が多かったです。
地球は丸いから、いずれは帰れると思っていました。(笑)

帯同しないという選択肢があったとして、、、私は、どうしていただろう?? と考えますが、若い頃は海外生活に憧れていたから、場所はともかくもやはり出ていたと思います。
そんな甘いもんじゃないって、すぐにわかるわけですけどね。
yu_mama
2018/06/24 22:57

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