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zoom RSS 1980年代 香港(5)ー海外あるあるー

<<   作成日時 : 2018/05/31 23:55   >>

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 顔合わせの食事会で、工場長夫人とお会いしたことは、私のその後の香港生活を大きく変えてくれるものでした。


 その日まで、工場長夫人とお会いするチャンスがなかったのは、お引越しがあったからでした。4年ほど香港島側に住んでいらした工場長一家は、社長交代で、全家族が九龍半島側に住宅を構えていたことをきっかけに、通勤の関係で九龍半島に引っ越すことにされたようです。

 香港は、大きく分けて2つ。中国大陸から地続きの九龍半島と、海に浮かぶ香港島で構成されています。
  (今は、ランタオ島という最大の島に国際空港やディズニーランドがあって人々も多く住んでいます。
   が、1980年当時は、ゴルフ場などリゾート要素があるくらいで、島の一部しか開発されていませんでした)
 
 香港の歴史は、イギリスが貿易赤字解消のために、インドのアヘンを香港に持ち込んだことから、暗黒の時代へと落ちて行きます。アヘンにより、人々の生活も心も壊れていきます。
 アヘン戦争(1839-1842)後、香港はイギリスの植民地となります。(1941-1945年は日本が統治します。)

香港の居民の多くは、中国内の内乱や日中戦争などで難を逃れてきた難民たちです。広東省からの人が多く、今でも香港は広東語が主流です。漁業従事者など船上生活者も多くいました。
 (船上生活で有名なアバディーン(香港仔)には、当時、多くの船上生活者の様子が見られましたが、政府の方針で沙田(シャーティン)などの公共団地への移住を実現し、現在は陸上で生活しています。)

1945年、第二次世界大戦後、イギリスは香港の占有を譲りませんでした。
結果として、英国のおかげで香港は世界の貿易港として経済的発展をし成長します。
 香港を手放したくないイギリスは、中国から租借地として借り受けていました。


 1997年に中国に返還されたものの、一国二制度が実施され、現在は特別行政区として位置付けられています。

 つまり、私が滞在していた頃(1980年代)の香港は、イギリスが中国から借り受けていた時代だったわけです。
実は、租借地の線引きは、年代によって少し変化していました。
九龍半島に「界限街」(ガイハンガイ=boundary street)という道路がありますが、そこが中国と英国側の境界だった時期があったため、その名が付いています。私は、その道路に面した中国側に住んでおりました。


 真面目な歴史の話は、これくらいにしておきます。これ以上は、私が詳しくないというのもありますが、あまりいろいろなことを書けないお国事情もありまして・・・と、ぼやかします。


 会社は、九龍半島の中国国境に近い新界という地域にありました。通勤はカンパニーカー利用でした。社長は、ひとりで専用のカンパニーカーを使い、残るメンバーは、1台の車に分乗しての通勤でした。その車の都合もあって、工場長家族は九龍半島の我々が住む地域に引っ越してきたということです。

 引越し説明が非常に長くなりましたが、お近くになったことで、早速のお誘いがありました。

 少し変化球で来たお誘いは、いつものY夫人からで

 「工場長の奥様がレースのお店をご紹介くださるので、
  あなた、いらっしゃらな〜〜い
  工場長の奥様のお宅に行きましょう」
でした。

 「いらっしゃらな〜〜い」には、「来なさい」の意味しかないことを理解しておりますので、すっ飛んで伺います。

 

 工場長夫人、Y夫人、私の3名でタクシーで行くことになりました。

 はい。タクシー止める。夫人たちを後部座席に誘導し、私は助手席に座る。料金払う。
 お店では、工場長夫人が手に取ったものを、とりあえず褒める。感動する。喜ぶ。
 これ、私の役目です。

 お買い上げは、工場長夫人のみで、我々は見るだけです。

 お買い物終了後、お荷物お持ちします。
 はい、荷物持ちながら、タクシー探しに走るの私。タクシー止める。夫人たちをお乗せする。工場長夫人の家を行く先として運転手に告げる。到着する。料金払う。
滞りなく私はお役目を果たします。

 そのまま
 「お茶していらっしゃいよ」
と、お呼ばれします。

 そこでドーンと座ってはいけません。

 「お手伝いします」 ← これ、大事です。

 そこで話題に上るのは、そこにいないS夫人のことになるわけです。 

 ふぎょぎょ!(あ、この言葉、当時は使ってないです)

 「Sさんには、お気をつけなさいね。
  私たちは、ぜーんぜん大丈夫だから、なんでも困ったらおっしゃいね」
と、言われたのが、さらに怖いんですけど〜。

  私がいない席では、私のことが話題に上っているのは、火を見るよりも明らかなわけです。

 ええ、食事会の席の座り方(私が主賓の席に座ったこと)を「非常識」と言われたのは、この方々のお茶の席でのことだったと思います。

 もひとつ。事前研修で綿製品がない!というのをまともに受け取り、私が会社のご家族へのお土産のひとつとして持参したのが、お子様達のTシャツでしたが、子供のTシャツなんて何枚あっても喜ばれるものと思っていたところ、違うのですね。
 後々に耳に入ったお話では、工場長夫人が

 「うちの子は、白いポロシャツしか着ないから、いらない」
と、おっしゃったそうな・・・。

 
 そういう内緒話が、巡り巡って風の便りに当の本人に届くというのも、海外あるあるです。

 本人に話が届くといえば、私が事前研修で伺った話をもとに、
「木綿のパンツをいっぱい持ってきました〜」
という話は、笑いを取るために食事会の席で披露したのですが、、、、
 
 のちのち、その話が研修で話してくださったご本人の耳に届き、その方は、しばらくの間「パンツパンツ」と呼ばれていらしたというから、本当に怖いっ!! 怖いったらないです。

 一時帰国した時に、その方にお電話をいたしましたら、

 「あなたのおかげで、私はパンツの話しかしていないように思われたわ」
と、冗談混じりではなく、ちょっとお怒りのモードでお返事いただき、受話器を握ってぺこぺこと謝ったものです。

 話が面白おかしく飛んで行くのかと思いきや、悪意のこもった脚色をされて千里も走るものだと知ったものです。

 


 ただ、私にとって工場長夫人とお近づきになれたことで、私の香港生活が一変することになりましたので、感謝もしております。

 工場長夫人は、日本人クラブの女声合唱団に入っていらっしゃいました。
 また、ご子息がピアノがとても上手で、香港の良い先生をご存知でした。

 そのおかげで、私はコーラスもピアノの先生もご紹介いただくことができました。

 私の香港ライフにようやく明るい光が差し込んできたように思いました。

 実際に、それをきっかけに充実の日々になり、
 Y夫人のお宅に伺う不毛の時間がぐんと減り、
 コーラスをきっかけに交友関係も広がり、

 良いことづくめ・・・・

 の、はずですが・・・。

 このつづきは、またってことで。


 

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
何か良からぬことが起こりそうな終わり方ですね。
海外に限らず日本も十分に怖いです。人は

普段から他人の悪口を言う人は信用できませんよね。

私がいない席では、私のことが話題に上っているのは、火を見るよりも明らかなわけです

私も同じように感じます。
周囲のことはどうすることもできないので、せめて聞き流すよう努めています。
パック
2018/06/01 07:38
昔のドロドロのドラマを観ているようです。読みながら、心身共に 冷え冷えとしていきました!
そのような状況では、前向きに物事を考えるということが、難しそうですね😓
わらび
2018/06/01 10:53
パックさま
人って、隣の芝生は青く見えるもので、トラブルが起こるような気がします。
たぶん、昔からあるのでしょうし、国籍問わずあるのでしょうし、国内外問わずにあるのでしょう。それが人間というものなのかもしれません。
動物の世界にも、縄張り争いとか、いじめがあるのだと思いますから、、、生き物の宿命!?

受け取り方で話の方向が変わってしまったり、口から口へと伝わるうちに、とんでもなく話が変わっているということもありますから、人の話は丸ごと信じないようにしませんと。
自分の意思とはまるっきり違う受け取り方をされることもあるということ、肝に銘じませんと・・・
などと思うのですが、なかなか私は失敗から学習できず、何度でも失敗を繰り返して生きております。

悪気もなく「お調子者のネタ」としてパンツを大量に持ってきた話をしちゃったら、それをジョークとは受け取らない人がいることに驚愕でした。
「研修で、パンツを持ってこいっていう話しかしないなんて!」
という方向に話が進むとは思ってもいませんでした。
本当に、人というのは厄介です。私と同じ感覚でいてくれるだろう〜って思っちゃう甘さを私は知るべきですが、これがなかなか学習できないんですぅ
20代のこの頃から、今も進歩していない自分を振り返り、ああ、今後も失敗を重ねるんだろうな〜と、情けなくも思っております。

人の口に戸は立てられない 
私の口にも戸は立てられない 

↑ これだ! 私のおチャラけ・・・・反省の色なし。


音楽関係のその後のことは、のちのち、いずれ書いていこうと思います。
しばし、お待ちくださいませ。
yu_mama
2018/06/01 11:00
わらびさま
絵に描いたようなドラマが展開され、次第に巻き込まれていくことで、落ち込むことも多くありました。
ただ、音楽活動によって救われたところもあり、それだからやってこられたんだろうな〜と思います。
また、まだ登場していないのですが、同世代の友達も見つかり始めて、私の生活は変化しました。
会社に関係なくつきあえる同世代は貴重でした。

ああ、そういう登場人物も出してくると、このシリーズ、膨大なスケールになりそう。。。
yu_mama
2018/06/01 11:20
海の向こうで、いろいろ大変なことに遭遇されていくyu_mamaさまのお姿。
ウーム(-ω- )o< フムフム
こりゃ、海が割れてできた回廊を渡り、yu_mamaさまが帰国するまで、固唾をのんで拝見いたします。
カラス
2018/06/01 12:59
カラスさま
この時代の海外は、本当に海の向こうの最果てに飛ばされた感ありで、家の中にいても外に出ても、日本から遠い地にいることをヒシヒシと感じておりました。

今じゃ、家の中で普通に日本のテレビがついていますから、、、ここはどこ? 日本なの?という錯覚をするほど、まったく海外意識が違います。
人づきあいも、あの時代とは自ずと違ってくるというものです。

って、どうなんでしょうね。今の若い方々の暮らしは、私には他人事なので、よくわかりませんけどね。(笑)
ま、どこに住んでいても、
人間関係いろいろ〜〜〜
人生いろいろ〜〜〜
ってことかもしれません。
yu_mama
2018/06/01 14:13
80年代香港ドラマにはまって 一気に ここまで
来てしまいました!
ほんと こんな世界ってあったんですね〜〜〜
面白い!続きが気になる!
もういっこ気になることが
タクシー代 ちゃんともらえたのでしょうか?笑
どりばる
2018/06/01 16:25
どりばるさま
まさに深田祐介の世界が、現実にあった〜という感じでした。
最初は、驚きと息が詰まりそうなことばかりで、今後の香港生活を憂いていたのですが、徐々に面白がっている自分もいましてね。
あの頃に、母や友達に送っていた手紙は、もっともっと新鮮とれたてのネタに興奮した状態で書いていましたので、たぶん臨場感に溢れていた生き生きした文章だったと思います。

今は、回想の形で書いているので、やや感情的な部分が乏しく、抑えめに書かれています。
たぶん、これくらいでないと、読み手は引きますね。あ??今の状態でも引かれるかもしれませんけど〜〜

どりばるさまには、楽しんでいただけているようで良かったです。
続きっていうのか、なんの構想もなく書き始めて、ツラツラ思い出すものから着手しているもので、、、一応、時系列も考えつつ、、、どこの方向に続くのやら。自分でもわかりませんわ。(笑)

タクシー代、いただきました〜〜〜。そこは、さすがに先輩主婦たち。多めに出す方もいらっしゃいますし、そもそもが、チップもつけるのでメーター通りではなくて、わちゃわちゃやっているうちに、多めに受け取っていたりして。
yu_mama
2018/06/01 19:18

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