父92歳、娘63歳!

 たまに思考が後ろ向きになる私がいる。

とくに理由はないけれど、
 「私は、何やってるんだろう」
と、思うことがある。

 誰もが毎日を生き生きと暮らしているわけではないのは重々承知しているが、生きていくのは大変なものだな~などと、立ち止まることがある。

 ずっと書こうと思いながら、書いてはまとまらずに放り出してあった編集記事を続けることにする。



 もう1ヶ月半も前の話になるが、国慶節休みに一時帰国した時、実家の父を訪ねた。
何度もブログに登場しているので、ご存知の方も多いと思うが、92歳で ひとり暮らしをしている父だ。

毎日、毎日を判で押したような暮らしを繰り返しながらも、前向きに生きている姿を見ると、アッパレと思うと同時に、

 「あれは怪物だね」
と、思ってしまう。

 父は、「独居老人A氏の1日」というエッセイを書き終えていた。たぶん、原稿用紙にして30枚程度だと思うが、自分を「A氏」として、客観的に1日の行動を綴ったものだ。

 
 その冒頭の部分だけ読んだが、、、私は恐れ入ってしまう。

 毎朝、新聞配達が郵便受けに新聞をことりと落とす音でベッドから起き上がり、A氏は玄関の外に出る。
新聞を取ってくると、再びベッドに戻り、しばらくは寝ながら新聞を読むのが1日の始まりだ。

1日の所作が細かく記され、そこには感情は含まれていない。
淡々と日常の時間の流れと、A氏の行動が綴られているだけだ。
感情的なことは書いていないものの、細かな描写はある。
丁寧に淹れたお茶を2人分用意して、12年前に亡くした妻の祭壇に向かい、妻との一方的な会話の時間については、詳細に記される。

そのお茶の淹れかたから、A氏のこだわりを披露している。100g1000円以下のお茶は買わない。九州の八女茶をこよなく愛し、お茶を淹れる時のお湯の温度にも気を配り、ポットのお湯を湯冷ましに満たして、温度がちょうどよくなる頃合いまで待つ。その温度もA氏にとっての、好い加減があるらしい。お気に入りの急須に茶葉を適量入れ、冷ましたお湯を注ぎ、茶葉が開くのを待つ。

そんなことが、細かく書かれている。茶葉を急須に入れて待つ間に、この人が何を考えているか?どういう気持ちなのか?ということは、まったく記されない。

 自分のことを客観的に書くことで、感情を全て排除し、毎日の事実以外のなにもない書き方で、些細な1日を記録してある。

 自分が死んだ時には、これを葬儀参列者に小冊子として配る手はずを整えているらしい。父はパソコンなど触ったことがないので、手書きの文章を仕事先の事務所の若い女性秘書にやらせたという。
迷惑な話よね~と思いつつ、父のわがままを聞いてくれる人に心から感謝する。

 

 私は、興味を持って、そのプリントの束を手に取り読み始めていたが、途中まで読んだところで

 「お前への恨みは書いてないから安心しろ」

と、言われ

 「どうせ、俺が死んだら事務所が持ってくるから、それから読め!」
と、取り上げられた。


 私は小さな声で 「恨みなら、私の方が数百倍書けるわ!」と、つぶやいた。

 父の耳の遠さは、ますますひどくなっている。私たち(夫と妹と)3人で実家の玄関から入っても、もちろん気付かない。リビングからは、大音量でテレビの音声が漏れ、リビングのドアを開けても、父は気付かずにテーブルに置いた本を懸命に読んでいた。

 読書するならテレビは要らないでしょうに・・・と、思いつつ、近寄り

 「久しぶり~こんちには~」
と、言うが、まだ気付かない。食卓を挟んだ目の前にいますけど~~~見えないのか!?

 妹が、父のすぐ隣まで近づくと、その人の気配でようやく顔を上げ

 「お、来たか」


 それほどに耳が遠いので、日常生活はさぞや不便、不自由だろうと思うが、ひとりで生活している分には、あまり不便でもないのかもしれない。

 おかげで悪口を言っても、本人に聞こえない。(笑)

 
 その日も、父は午前中に買い物を済ませ、夕食の献立も考えてあったようだった。あくまでも自分で材料を買ってきて作るスタイルを変えない。大変でも、お惣菜やインスタントは使わない。


 92歳の父が、毎日を丁寧に暮らし、愚痴の一つも言わずに完全自立の独居生活をしているというのに、60代の若造の私が、何を言ってんの!!

 と、いつも父の姿にハッパをかけられる思いだ。

 それにしても、、、あのエッセイを私が読むのは、いったいいつになるやら。。。確か、90歳を超えた独居老人と書いてあったと思うけど、、、、そのうち、100歳を超えた、と書き直すことになるんじゃないの~
 

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