昭和40年

 「おどーさん、ミネコは元気です」 (どうぞ北茨城訛りでお読み下さいませ・・・笑)

 朝ドラをご覧になっていない方には、なんのことやらな話ですが、深センに住むようになってから、「朝ドラ」すら楽しみになっている私です。「すら」というのも失礼な話ながら、日本にいたら、まったく観なかった、、、たまには観ることもあったかな、、、くらいの位置付けで、今、ここで朝ドラを楽しみにし、欠かさず観ている自分に驚いております。

 それはさておき、ドラマの時代は東京オリンピックの翌年 昭和40年であり、私が小学6年生の頃の話であります。

 集団就職で上京する!という話にも驚きますし、向島にあんなにも煙突が立ち並び、工場で地方出身の若者たちが仕事をしている姿があったことにも驚いております。
なにか、時代背景が私の生活とかけ離れているようで、
「え?そんな生活が同じ東京にあったの?」
という驚きです。

 私が当時住んでいた場所は、ルート246がすぐ近くを走り、上は首都高。我が家は高台にあったので、坂を転げ下りていく途中から高速道路の壁が見えていました。すごいモンができたな~という驚きを持ったことを覚えております。あの空中に浮いた道路のおかげでルート246は暗くなり、そこを走っていた路面電車(玉電)がなくなってしまったという、一抹の悲しさも感じていたように思います。

 渋谷が近く、代々木や駒沢の国立競技場建設も進捗状況を見て育ちました。日本が近代的になっていくことを肌で感じていました。

 その当時、ラムネが15円だったとか、銭湯が28円、映画館は400円というドラマの情報を見て、へえ~~~と、まるで自分がいた時代とは思えないほどの、古い時代を見るような不思議な感覚でおります。

 しかし、まぎれもなく私は、その時代に小学生だったのです。しみじみ思うと同時に、私の生きてきた年月の長さをあらためて認識する次第なのでございます。

 たぶん、下町の工場の街 向島と、私の住む山の手と言われる場所では生活環境に大きな違いがあり、また集団就職で出てきた若者と、東京で生まれ育った私とでは感じ方も違うでしょう。

 そういう意味でも、私の知らない私の生きていた時代を見ることができ、こういう人たちが日本の経済発展を支えていたのだと思うと、朝ドラに興味が湧きます。

 本当のところを言えば、今回の朝ドラは、見始めの頃から面白くないな~と思っていて、心動きませんでした。それでも見続けていたのは、ここが深センだからでしょう。日本でだったら、朝ドラは観なくても時間が進み、深センでは朝ドラを見ないと時間が進まない感覚があります。

 ミネコの「アイルランドに勝ちます。アイルランドって どご?」というセリフにクスっと笑ったり、初めてのクリームソーダに感動する可愛い表情など、微笑ましく観ております。


 さて、その当時の私といえば、渋谷に近い高速道路の下にある暗いバス停からバスに乗り、世田谷方面の学校に通っておりました。
同じルートを通うクラスメイトたちとバスの中で会うと、たちまちピーチクパーチクやりたいところですが、公共の乗り物では静かにしなければならないという教育も受けていたので、案外静かだったと思います。自分たちは、静かに乗っていたと自覚しています。少なくとも、中国の地下鉄の中のような騒々しさはなかったはずです。

 ある日、私が乗り込むと、友達4人が並んで座っていました。私が乗るバス停からだと座れることがあまりないのですが、その日は、たまたま彼女たちの隣の席が空いて、私も並んで座りました。5人が横並びになっても、隣同士で話す程度で、大声で全員で話すことはしません。制服を着ていて、どこの学校かがすぐにわかってしまうので、言いつけは守っておりました。

 そんな私達の目の前に、女子高校生が重たいカバンを抱えて立ちました。座っている我々が5人。立っている目の前の高校生が5人です。

 座っていた友達の中のひとりが、こそこそと隣の友達に何かを耳打ちをしました。次々と隣の子に伝言ゲームのように耳打ちされていきました。

 が、私には、その話が伝わらないまま、私を除く4人が

 「せーの」
と、言って、

 「お荷物お持ちします」
と、揃って、目の前の高校生に言ったのです。

 4人の女子高校生は、4人の小学生の膝の上に重たいカバンを乗せ
「ありがとう」
と、言っています。

 「・・・・」
私は何も言えず、黙って下を向いてしまいました。
私の目の前の女子高生が、どんな表情でいたのか?それもわかりません。

 その時の私は、自分にだけ耳打ちが伝わって来ず、他の4人で揃って「せーの」で、声かけをしたことに圧倒され、気後れを感じてしまったのかもしれません。
なんで私にだけ話してくれなかったの? 仲間外れにされた? 一瞬にして色々な思いが襲い掛かり、頭の中もパニック状態になって、私は何も言えなくなってしまいました。

 私の目の前の高校生だけが、荷物を持ってもらえない状態で立ちすくんでいます。
私の隣の友達4人は、一斉に私を観たと思います。
無言でした。ただ、ただ、小学生の友達の視線と、高校生5人の視線が私に集中しているのを感じます。
突き刺さります。

泣きたくなりました。
実際、涙も浮かんでいたと思います。

下を向き、自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていました。

「おかばんお持ちします」
の一言を、遅ればせながらも言えばいいだけなのに、それを言ったら、涙がどーっと堰を切ったように流れ出そうで、言えません。
ただただ、困りました。

あの時の私の気持ちは、、、なんで、私の隣の子が私にも耳打ちしてくれなかったの!? ということに固執していたのか・・・今でも苦い思い出として、時々あの場面がふっと蘇ります。

 私の隣に座った子は、たぶん自分が耳打ちをされた段階で、もう私に伝えることなど忘れて、「せーの」と言ったのだと思います。たったそれだけのことで、私に意地悪をしようなどとは思ってもいなかったでしょう。あ、yu_mamaに耳打ちするのを忘れちゃった~くらいのものでしょう。

 実際に、その後も彼女とは親しい友達として、大学生になってからも会っていましたし、彼女の結婚式ではスピーチもした私です。

 大学時代に再会した時、彼女はそんなことがあったことすら、すっかり忘れていたかもしれません。私からも、その話はしたことがありません。

 あの日のバスは、20分ほどで学校近くの停留所に到着したと思いますが、その時間の長かったこと!辛かったこと!友達が、一斉に目の前の女子高生のかばんを持ってあげた時、ちょっとの出遅れでも私が勇気を出して

 「おかばんお持ちします」
と、言えばなんの問題もなく、こんなことがあったことすら忘れていたでしょう。

 一瞬にして固まり何も言えないまま、バスが進み時間も進み、言い出すタイミングがなくなってしまい、そうなると、ますます言えなくなってしまって、とうとう学校に着いてしまったといったところです。小学6年生には、辛い試練の時間であり、胃が痛くなるような事態であり、暗い気持ちになって、バス停で降りてから彼女たちと離れて、さっさとひとりで歩いて学校まで行ったような気がします。

 そのあたり、よく覚えていませんが、今でもなんであの時に勇気を出して、
「おかばんお持ちします」
が、言えなかったかな~と、悲しく思い出します。

 今なら、こんなことあったよね~と笑い話にできそうですが、私の隣に座った友達は、すでにこの世にいません。とっても優しい子だったので、意地悪なんかではなく、本当にうっかり私に伝え忘れただけでしょう。もしかしたら、彼女もずっと心の中に「しまった」と思って、引きずっていたかもしれません。

 もう、そんなことも聞けなくなってしまいました。

 朝ドラから、こんなことまで思い出し、15年も前に急ぎ足でこの世を去ってしまった友を偲んでいます。 

 

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この記事へのコメント

tadu
2017年05月09日 23:21
深センで 日本のテレビ 観られるんですね。
ネット環境があると 殆ど視聴出来るらしいですね。
今の時代ですものね。
私が住んでいた30年も前のパリでは 「キャッツアイ」が人気で
フランス語に吹きかえられていて、何話てんだか理解不能でしたが
それでも日本そのものと、日本のアニメを懐かしむ事が出来ました。
ちょっとフランス語の勉強にもなりました。
考えてみたら yu_mamaさんも経験者でしょうが、インターネットのない時代に
よく海外で暮らせたな、なんて。笑

書いてらっしゃること、イチイチよお~く分かります。
昭和40年、私は小学2年生でしたが
私はバスと山手線通学でした。バスは都バスでしたが 学バスだったので
最寄りバス停から 10分くらいの
渋谷駅まで10円でした。それだけ覚えています。

山手線で同じ学校の先輩にyu_mamaさんと似たような経験があります。笑
思い出して なんか懐かしい!
繊細なyu_mamaさんの少女時代が窺えます。

集団就職は7才違いの夫は 同級生にいて、見送りに佐賀駅まで行った事があると話してくれました。ちょっと我々と時代が違いますね。
東京オリンピックで渋谷近辺は特に変わりましたよね。
小さかった私も 感じていました。

そのお友達は早くに亡くなられたのですね。
多感な少女時代の経験は 大人になった今でも
色々思い出しますね。

今や当たり前だけど、しっかり大人のyu_mamaさんは 面白いし 、しっかり自分持ってるし、基本優しいです。

ブログ読んでると イチイチナットクしちゃいます。笑



tadu
2017年05月09日 23:26
あっ、ウッソピョーン!
昭和40年は3年生でした。
yu_mama
2017年05月10日 01:25
taduさま
インタネットの時代で良かった~という日々です。30年前くらいのパリでは、「キャッツアイ」でしたか。その当時、私は香港でしたが、「ドクタースランプアラレちゃん」や、山口百恵さんの「赤のシリーズ」を広東語でやっていました。意味がわからなくても楽しみに見ておりました。
若かったから、それでも楽しく過ごしていたことを思い出しますが、今の深センで日本のテレビが観られなかったら、私はたぶん夫をひとり置いて、とっくに帰国していたと思います。(笑)

東京オリンピックに向けて、自分の周辺がどんどん近代化されていくのを見て成長しましたから、その時代に集団就職?って、なかなか結びつきません。ご主人様は、ご存知なのですね。集団就職と聞くと、どうしても北の方から上野に集結するイメージですが、佐賀からですと東京駅ですね。 知らないことが多いものです。

友達は、私が海外に出ている間に色々とあったみたいで、大病をし40代で亡くなりました。彼女のお屋敷の広いお庭で、ふたり並んで写っている写真を時々眺めています。

少女時代の私、引っ込み思案の内弁慶。すぐにどぎまぎするような女の子だったのです。今とは、ずいぶん印象が違うかも・・・です。
yu_mama
2017年05月10日 01:33
taduさま
アハハハハーーー
東京オリンピックの年が、小学2年生だったのでしょう?私は5年生でした。妹が1年生でした。よく「オリンピックの時、何歳だった?」という話で盛り上がるものですから。
学校から近い駒沢競技場でサッカー観戦をしたことを覚えています。5年生、学年全員で観戦しました。(その時の6年生は陸上競技だったらしいです。私は覚えていませんでしたが・・)
あきさん
2017年05月10日 11:29
私は大学に入るまで東京を見たことがなかった・・・昭和30年4月から私の東京生活が始まりました。朝ドラ「ひよっこ」の場面では私自身の体験とダブル場面が多いですね。北茨城から集団就職で上京してきて、言葉の問題とか、生活習慣の違いとか、様々なことに戸惑う登場人物たちの心情が、当時の自分とダブってしまいます。
いまでは老酷をさらして無為の日々を過ごして居りますが、嘗ては高度経済成長時代の日本を支える仕事に取り組んでいたのだという自負が、辛うじて心の支えになっています。
パック
2017年05月10日 16:46
友に先立たれると残された者は、心に残る物ありますよね。
確認したくても、もうそのひとはいないのですから
昨年、私も友人を亡くしました。
昨年末新年の挨拶の欠礼の葉書が届き、友人の死を知りました。夜遅くまで電話で語り合ったこと、我が家の収穫期には購入の連絡いただいたこと、義父母の介護の相談にのってくれたこと思えばいろいろお世話になりました。
心残りは、ご自分の病気のこと何も話さず逝ってしまったことです。
yu_mama
2017年05月10日 21:06
あきさん
大学生になって上京される方は多いのでしょうね。そして、それまで東京に行ったことがないというのも。うちの父も私の従兄弟たちも同じです。昔は地方からは東京がとてつもなく遠かったと思います。
同じ日本とはいえ、言葉も習慣も違いますものね。まさに朝ドラの彼女たちの心情がおわかりになるのですね。
高度経済成長を支えた方々のおかげで、日本は世界の「日本」になりましたし、飛ぶ鳥落とす勢いの発展がありました。きっとご苦労があったと思うのです。私たちは、その恩恵を受け、良い暮らしをさせていただきました。後進の者は先達から学び、続かねばなりません。が、なかなか、現状はそうではないのがなんとも・・・。
あきさん、私たち後輩に「喝」を入れ、見守ってくださいませ。
yu_mama
2017年05月10日 21:13
パックさま
私、このところ2人も同級生を亡くしました。そのことは、まだ直近のことゆえ、なかなか気持ちの整理もつかず、文章にもできずにいます。

家庭のある女性というのは、なかなか会えなかったり、連絡も途絶えがちになったりして、知らないうちに亡くなっていたということがありますね。私もそうです。海外に出るたびに、連絡する友達の人数が減り、しばらくご無沙汰してしまっているうちに、もう会えないことになってしまったり・・・悲しいです。
パックさんのお友達は、病気のことを言って心配をかけたくなかったのでしょうし、普通に話せる間柄でいて欲しかったのでしょうね。
2017年05月11日 00:48
朝ドラは、東京編になってから、とてもワクワク観ています。昭和40年頃の東京のワクワク度は、地方のものとは大いに違うでしょう。会社の女子寮の様子は、我が高校の女子寮時代を思い出させてくれます。最近、忙しくてドラマを観ることが出来ないのですが、そのうち、追いついて観たいです。

「お荷物お持ちします」 というコトバは、言った経験も、言われた経験もありません。席を譲るということを実行出来ても、荷物を持って差し上げる行為は、なかなか出来るものではありません。そのような道徳教育を受けられる環境とは、上下関係や規律が厳しいところだったのでしょうね。
私は尊敬語も言えないようなハナタレ女子でした。

子供の頃の出来事を忘れられないということは、子供のココロに大きな衝撃を与えたということですね。特に大きな悲しみとか、驚きといったものは、デフォルメされた部分が、いつまでも付いて来ます。
「どうしてそうなったのか」「周りの人たちは、どう思ったのか」など、確認したくても今更出来るはずもない。他の人たちにとってのその出来事は、その瞬間に置いて来たことで、振り返っても何も思い出せないことかもしれない。
私もそんな思い出がたくさんあります。いつまでもココロで消化しきれないものです。

yu_mama
2017年05月11日 01:32
カラスさま
39年のオリンピックで、東京は急激に近代的になり、東京人でもエライもんができたな~という感覚で、浮き足立っていたかもしれないですね。子供心にも、変化は感じておりました。
女子寮での生活体験がないので、私からみると「大変だろうな~」と思いますが、1度は体験してみたかったな、とも思います。

バスや電車の中で、お年寄りに席を譲ることや、若い人の重たい荷物を持つことは、誰もが当たり前にやっていた、、、そんな時代でした。だから、私もひとりで乗っていて荷物を膝に乗せることは普通にやっていましたが、この時の出遅れ、気後れ、なんともいえない間の悪さ、いたたまれない気持ち、鮮明に覚えております。

昔のクラスメイトと話をすると、それぞれに覚えている事柄が違います。自分がショックだったこと、悲しかったこと、強く心に残ることは、人それぞれなので、もうあの日のことなど誰も覚えていないだろうな~なんて思いつつ、そういうものだとも思っております。
こういうことを思ってしまうのも、年取った証拠かな~~
2017年05月12日 11:21
早期退職してから、NHKの朝ドラは見続けてきました。
今のドラマも以前のドラマと比べてワクワク感はあまり無いものの、みんな良い人で安心して見れます。
民放のドキドキ的なドラマは疲れます。連続物はなおさらです~
本題は、「ひよっこ」の時代背景ですが、私もあの時代、こんなに貧しかったの~って自分の当時の年齢と比べて、違和感を感じてます。
私は幼稚園の時に鹿児島から神戸に引っ越してきましたが、けして裕福ではなかったけど、ここまでは~
物の値段も、集団就職の様子も~
なんかまだ戦後の名残が感じられて~地域的なものかしら~と思いつつも東京ですものね~
バスでの話は、子供の頃って「場をよむ」という事が出来ないんですよね~
堅苦しく考えないで、友達がしたのだから、意味わかないけどつられてしちゃえ~って思えばいいのでしょうけど~
今でもしっかり覚えておられるのはとても強烈だったんでしょうね~
案外、その友人は全く覚えていなかったのでわ~


yu_mama
2017年05月13日 01:45
たぁくんママさま
ドキドキハラハラのドラマは、あまりお好きではないですか? 私は、今季も湊かなえの(民放の)ドキドキハラハラに夢中になっています。 
「ひよっこ」の時代は、自分が見てきた世の中なので、そういう意味では面白いです。「べっぴんさん」よりは、時代的に興味があります。
同じ東京でも、なんの不自由も感じていない小学生の私と、工場で働き、少ない給料の大半を実家に送るヒロインとでは、生きている世界が違う部分もあるでしょうが、間違いなく同じ時代の話なんだな~と思って見ています。

バスでの一件は、きっと誰も覚えていないかもしれませんね。私には強烈な思い出なので、未だに引きずっているところもありますが、みんな、そういう苦い経験のひとつやふたつはあるのかもしれないな~なんて。。。
あの時、出遅れてでも「おかばんお持ちします」と言っていたら、どうってことなかったのに・・・と思いますが、やはり、何か気持ちに引っかかるものがあったのだと思います。

今日、facebookで、大学時代の友が投稿していた内容が
「生きていれば、罪深いこと、消してしまいたい過去、顔から火が出そうな恥などがたくさんあり、できれば過去を回収したいくらいだけれど、神への赦しを得るしかないのです」
というものでした。たまたま、このタイミングでそんな記事を目にして、忘れてはいけないことは忘れてはいけないのだろうな~なんて思っております。
まあ、私の場合、恥はいっぱいありすぎて、抱えきれないし覚えてもいられないのですけどね。
どりばる
2017年05月16日 11:10
見てます!見てます!
みね子の「おとうさん~」真面目に言ってるので なお笑えますね
私は大阪梅田から電車で当時は20分(現在は10分)ほどのところに住んでましたが 大阪の都心は憧れでした。(4,5歳のとき デパートの屋上へ行くと言い残して、兄と行方不明になったことあります~一円ももたず、歩いていこうとしたのです)
あの時代は 同じ時代に生きていても、生きる場所によって、全く文明度が違ってたんですね~yumamaさんのように 私立小学校に通うなんて雲の上の人でしたもの。でも バスの中で固まっていたyumamaちゃん ほんとうに 可哀想でした。
私は あのとき、あーすればよかったばかりの人生です
どりばる
2017年05月16日 11:13
あれあれ リバースですね~私、ラストが待てなくて、本 買っちゃいました~
さわこの朝に湊かなえさん出てましたが、やっぱり、ユニークでトークも魅力的でした
yu_mama
2017年05月16日 12:14
どりばるさま
朝ドラ、ミネコの茨城訛りが可愛いですよね。あんな女子寮で仲良く暮らす生活があったのだな~なんて、遠い世界のことのように見ています。良いことばかりじゃないでしょうけど。
大阪のことは、右も左もわからないのですが、阪急梅田!なーんていうのは聞いたことあるので、梅田が中心地なのかしら?? デパートの屋上、憧れでしたよね~。兄妹で冒険旅行に出ちゃったんですね。(笑)
東京は、あの39年のオリンピックに向けて急ピッチで街が変貌しました。うちは貧乏庶民ですから、私立じゃないんですけどね いわゆる団地生活をしていました。

バスの中でのことは、今でも思い出すと冷や汗が出ます。引っ込み思案の小学生の心理状態は、今では懐かしくもあり・・というところです。

ああ、あの時、ああすれば・・・私もそんな思いばっかりです。

リバース、ドキドキです。原作読んでいないし、ここでは買えないし(苦笑)

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