私の子育て

前記事「家族の団欒って!?」に寄せてくださったコメントから、自分のことも書かねば片手落ちだな、と思い続編ともいうべきものを書くに至った。

 実は、前々から、自分が親としてどうだったのかについても書こうと思い、何度か書きかけたが投稿できずにいた。
まあ、それには色々な理由があるのだが、、、ひとつには、当ブログの軽くオチのあるおちゃらけ傾向にふさわしくなく、重たい内容になるのが必至だからというのがある。

しかし、今、自分が親として何をしてきたのかを総括すべき時期が来たのかもしれない。

 

 私は自分が子供時代に受けた心の傷を正面から見ることもなく、越えることもなく、我慢したまま誰にも言えずに大人になってしまった。母や妹とのコミュニケーションもほとんどなかった。

何も解決しようともしないまま、ただ父から逃げるための手段として結婚を決めた。
当然のことながら、父から勘当同然の反対をされた。しかし、社会的なことを考えて、結婚式をした。式には参列しないと言っていた父が、当日、披露宴の締めくくりにマイクを奪い取り、参列者に言いたいことを言って、式は終わった。

 それでもなんでも良い。とにかく父から離れられた。物理的に離れられた。


 が、心の呪縛は簡単には解けなかった。

 それは、海外生活で暮らそうとも、いつでも私の頭の中を占めているのは、父の声だった。恫喝にも思える声に支配され、私の生活の基準、考え方の根っこは父から受けた洗脳とも言えるもので占領された。

 そして長女が生まれた時、私は大きく混乱した。

 父にとって初孫になる娘の顔を見て、父は見たこともないような形相で喜びを表した。その姿を冷たい目で見ていた私は、自分の不幸を感じた。母の言葉が、さらに追い討ちをかけた。

 「自分の子が生まれた時には、こんな顔しなかったのに。なんだ女かってガッカリしていたのに。」
名前さえ決めようとしなかった父に代わって、母が私の名前をつけ、提出期限ギリギリに祖母が区役所に出してくれたことも聞かされた。

 
 そこからは、私は娘には申し訳ないと思うのだが、自分で娘を可愛く思いながらも、自分に可愛がられる娘に嫉妬するような妙な感覚で素直にはなれなかった。自分の中での矛盾と葛藤をいつも抱えながら、我が子と接していた。

いつも笑顔で子育てをしよう!
いつも娘には、楽しい家庭だと感じられるような環境を作ろう!

その私の理想は、絵に描いた餅になってしまう。私が笑顔で接し、笑う娘を見ていると、私はこんなふうに親にしてもらっていなかったという恨み節が湧き上がる。娘に嫉妬を覚えるという、説明に困るような精神状態に追い込まれていった。

 これが、世に言う「アダルトチルドレンの連鎖」というものかと気付いたのは、ずいぶん後になってからだった。

 娘に続き、息子も生まれた。ふたりの子を授かり、世間的には普通の家庭に見えたかもしれない。が、私は常に父の声が幻聴のように聞こえ、自分がしていることの「くだらなさ」を叱責されているかのような恐怖を密かに感じていた。

 
 カウンセリングに通ったものの、心理学や心理分析について少しだけ知識のある私は、
「あなたには、カウンセリングはできない。自己分析ができているから、大丈夫でしょう」
と、見放されてしまう。

 子供を可愛がる方法がよくわからない。子供のやる気を削ぐ方法なら、いくらでもわかるが、子供に夢を持ってもらうようなやる気を育てる方法が見つからなかった。

 厳しい面と、かなりルーズな面と振り幅の広い、一貫性のない家庭で子供達は育ち、そこに団欒があったか?というと、なかったと思う。

 海外という特殊な世界に置かれ、ベビーシッターに子供を預けて会食に出ることや、夜のパーティーに出ることが当たり前の環境であったこともあり、大人は大人、子供は子供という単位で暮らし、決して家族という和やかな場面は多くなかったと思う。

 結果はどうだったのか。33歳になった娘と31歳の息子が、普通に社会人になり、娘は5年前に結婚して幸せそうに暮らしていることを思うと、彼らは夫に救われてまっすぐ成長したのかな~とも思う。

 娘の結婚式の時、夫に宛てて

 「中学生のころ、パパから言われた、人のせいにするな!という言葉をずっと守ってきた。。。育ててくれてありがとう」
というような内容を読み上げ、夫は涙をボーボーと流していた。
一応、私には、
 「なんでもできるママは素晴らしいけど、時としてサザエさんみたいなところもあり。。」
と、オチも忘れないあたり、私の子だな~と、花嫁の母は、泣いている夫の横で笑っていた。


 ちょうど息子が高校から大学に行く頃、夫は単身で香港に出向していた。娘は大学生から就職というタイミングだったから、ふたりとも肝心な時に相談する父親が不在で、私は実家の母の看病と仕事で忙しくしていたから、勝手に育ってくれたというのが正解かもしれない。

 つまり、私はまともな子育てもしていなければ、自分の知らない家族団欒というものを作ることもなく、自分でもがいているうちに、子供は巣立ってしまったというのが正しいかもしれない。

 
 夫に救われたところは大きい。私の子供時代からの体験を知ろうとしてくれて、理解してくれて、持ち前の明るさといい意味でのいい加減さで、私の心を開放してくれたのは、この人だと思う。

 しかし、このことは面と向かっては言わない。どうせ図に乗るだけだから。子供に手がかからず、勝手に育ってくれた分、この人にはものすごーく手を焼いてきたわけでありまして。。。





何度、捜索アンド捕獲に深夜の運転をしたことか・・・。
 
 本日もめでたくオチがついたところで、重たい話を締めくくる。

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この記事へのコメント

あきさん
2017年04月22日 11:35
前回に続いて今回も驚くばかりの話で、コメントするのがむつかしいテーマです、はいっ!!
お父上の厳格さには、まるで江戸時代の武家の当主を見る思いでしたが、その父のもとで薫陶を受け続けたた貴女は、お母さんとなったときにお子さんとの距離感をつかめづに戸惑うばかりだった・・・・これはまるで小説の世界ではないですか!!
良いご主人に巡り合えてよかったですね。これからは優しく、懐の深いご主人と二人でのんびり、ゆったりとお過ごしください。
私の来し方に照らせば、貴女の本当の人生はこれから始まるのだと思いますのでね。
yu_mama
2017年04月23日 01:36
あきさん
私のカミングアウトは、ごく親しい友人にもなかなかできず、かなりの大人になってから話したことがあります。その人は、学生時代にそういうことを何もわかってあげられなくてごめん!と言い、これは小説に書けば良いと言います。私の家族も、小説書けば~と言っています。
父は武士のような父親に育てられ、小学生の頃から、将来の仕事への使命感を持ち、勉強を続けてきたらしいです。私が女でガッカリだったようですが、二人目も女だ!と知った時の落胆ぶりは、ひどかったようです。父の5人の姉たちは、女の子しか産まない母を責めたそうです。5人の姉のいる末っ子長男の父の家系こそ「女系家族」なわけで、母の責任ではないと思うんですけどね。
そんなわけで、私が息子を産んだ時には、父が大喜びで、、、そして、比較的最近、私の息子を自分の養子にしたいと言い出した時には、さすがの私も腹が立ちました。

私の本当の人生、これから。嬉しい言葉です。ありがとうございます。励みになります。
パック
2017年04月29日 05:02
辛い状況で子育て、興味深く拝見させていただきました。
お嬢様の結婚式のスピーチ良いですね。
ユーママさんのご家族の素晴らしさがぎゅっと詰まっています。
子供のことは、中々書けませんね。
私も、かけません。あーなんでこんな子になってしまったのでしょうかと…それも自分の所為だという事分かっているだけにかけません。

yu_mama
2017年04月30日 01:21
パックさま
子供を育てる立場になって、親の気持ちがわかるようになる!と申しますが、私のようなケースもあるわけでして・・・。父もまた、その父親に叱り飛ばされて育ったのだろうな~ということは理解できました。
結婚式のスピーチね。持ち上げて持ち上げて、ど~~~んみたいな(笑)それでこそ、私の娘です。私も、そんじょそこらに良くある褒め言葉と感謝だけの手紙より、よっぽど嬉しかったです。会場の笑いを取れただけでも十分です。(って、お笑い芸人か!!)
後悔とか反省って、何をやっても、どんなに十分にやっても誰でもあるんじゃないかな~と思います。。。と、思いたい。

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