アサーティブな生き方

 
 このところバタバタしていて更新が滞り、みなさまのブログへのご訪問もできずにいる。

 とりあえず、ひとつ記事を更新しておこう!





 大学時代の友人と、人間関係について話していたとき、彼女が

 「アサーションって知ってる?」
と言ってきた。

 どっかで聞いたことはあるような・・・ないような。

 「知らないわ」
というと、本を読むように薦められた。


 早速、「アサーション入門」と「アサーション・トレーニング」の2冊をネットで購入。こういう時に家に居ながらにして本を探して買えるというのは、便利だな~と思う。夜に注文して、翌朝には届くというのもスゴいし、送料もかからないのもありがたい。やるね!


 津田の英文科を出た 平木典子さんという人が、アメリカに心理学の勉強をしに留学し、そこで出会った心理学的会話術とでもいおうか、人間関係を素敵にしようという内容だ。


 自己表現のタイプには、大きく分けて3つある。

 1、自分より他者を優先し、自分は後回しにする自己表現
 2、自分のことだけを考えて行動し、時には他者を踏みにじることにもなる自己表現
 3、1と2のちょうどよいバランスで、自分のことをまず考えるが、他者にも配慮する自己表現

 常に1だったり、2だという人は少なくて、誰でも状況に応じて色々な表現の仕方をするのだが、どの割合が多いか、人によって違う。

 1は、非主張的(non-assertive)自己表現といい 2は、攻撃的(aggressive)自己表現という。

 これらに対して、3は、アサーションを実現した自己表現=assertiveな自己表現 と呼ぶ。

 例えば、郵便局で 窓口に誰もいないので奥を見ると、局員同士で立ち話をしていて来客に気が付いていないとする。

 1だと、自分に気付いてくれるまで窓口で待つ。

 2だと 「おしゃべりなんかして、窓口はどうなってるのよ!」と厳しく言う。

 3は、相手に届く声の大きさで「お願いします」と言う。


 用事があって窓口に行ったのだから、こちらの意思を相手に伝えるべきで、言われた方は、
 「あ、すみません」
とかなんとか言って、窓口に走ってくるだろう。こちらの主張も通るし、相手も素直に謝りスムースに事が運ぶわけだ。

 しかし、中には、こういうことが言えない人もいる。窓口で業務をするために会社に来ているのに、客が来ても気付かないとは けしからん! と心の中で思いながらも声を掛けない。本来、窓口にいなければならないのにサボっている人に対して、こちらが声をかける必要ないと考える。
そして気付いてくれるまで待つ。これが非主張的自己表現だ。
こういう場合、用事が済んだ後でもモヤモヤした気持ちが残ってしまう。また、その気持ちが窓口業務の人には伝わっていないことも、なんとなく不公平な気がして、結局モヤモヤが尾を引く。

 また、中には、大きな声で「コラー 何してるんだ!」と怒鳴る人もいる。局員は平身低頭で謝りながら業務をすることになり、自分が悪かったとはいえ、そこまで怒鳴られなくても・・・という気持ちになってしまう。怒鳴った側も、後味は悪い。

 また、攻撃的自己表現の中には、策略的に自分の思うように相手を動かそうとする行動も含まれるそうで、大きな声で怒鳴る攻撃ばかりではなさそうだ。例えば、一見、非主張型のタイプのように何も言わずに黙って窓口で待っていたとしても、郵便局を出てからモヤモヤした気持ちを晴らせず、クレームとして陰で告げ口するなどという行動に出ると、それは攻撃的自己表現ということになる。

 
 アサーティブな自己表現というのは、自分の主張も素直に出すが、相手のことも考える。つまり自分の考えだけを押し付けることもしないし、自分の気持ちを抑えて我慢することもない関係を築くということだ。
誰にも主張する権利があり、自分にもあれば人にもあることを知った上で会話をしようということだ。


 しかし、そんなに教科書のようにできるか!?と問われれば、なかなか難しいと思われる。

 子供の頃からの家庭環境によっても自己表現の仕方は変わってくると著者は書いている。

 たとえば、子供の頃に何か大事なものを壊したとする。親は、叱る。壊してしまった原因、理由を説明して、大事なものを自分の不注意で壊したことを子供は知る。そして謝る。謝れば許し、今後は気をつけるように注意して終わる。

 子供はこういう学習をして成長する。失敗しないようにすることを覚えるだけでなく、謝ることと許すことを覚える。

 ところが、失敗したことを激しく怒られて育ったとする。人格否定にも繋がるような怒られ方をされて許されないままだとすると、子供は萎縮する。怒られたくないので消極的になる。失敗体験も少なくなってしまうし、人が失敗した時に許すことができなくなってしまう。

 大人になった時、自分の子の失敗や仲間の失敗を許せないことになる。許し方がわからず、怒るという表現で責めることしかできなくなる。


 たぶん、それが私だ。

 子供の頃から、何で怒られているかわからないけれども怒られるという体験が多かった。父が外で嫌なことがあると、私が怒鳴られるという方程式があり、ほぼ毎日のようにイライラしていた父は私を怒ることで発散させていたようだ。それが日常だった。

 私は自己表現が苦手で、人を傷つけることも多い。

 まずは、非主張的自己表現のタイプになり、例えば郵便局の例を挙げれば、私は窓口で黙って待ってしまう。自分から声を掛けることをしない。それは、相手がそこにいるべき業務を怠っているので、私が声を掛ける筋合いではないと思ってしまう。
 

 アサーティブな自己表現が苦手な私は、大人になってからの人間関係が上手に築けず失敗ばかりしている。頭の中では、相手を思いながら言葉を選んで話そうと思う。最初のころは気をつけて上手につきあおうとするので、とてもうまくいく。そのうちに慣れてくると、ついつい油断してしまう。思ったことをストレートに言い、相手のあることを忘れてしまう。相手に落ち度があったとすると、とことん追求しやり込めてしまう。そして人間関係は、ぎくしゃくする。

 この本によると、人が責めれば責めるほど相手は心を開かなくなり、言い訳を並べて、ますます友好的な人間関係は築けなくなると書いてある。


 また慣れた関係になると、どうせ何を言っても返事は決まっているだろうという決めつけも出てくる。健全なやりとりができずに、だったら話すのをやめようと思ってしまう。相手をそのように決めつけてしまうのも失礼な話だが、自分がそのように思われてしまうのも悲しい。

 きっと責め言葉が返ってくるに違いないと思われて、差し障りのない話題だけで日常が過ぎて行くことに不満もありながら、相手の気持ちや考えを尊重しながら こちらの意見を正当に伝えるということも面倒になってしまう。


 だから・・・・私は、日々無口になっている。 

 心の中に もやーっとしたものを抱えながら、何も感じないように鈍感に努めることにした。


 ってなことを思っていたら、ブログが進まなくなった次第。

 

この記事へのコメント

パック
2013年09月12日 02:57
こんばんわ
私も苦手ですよ。
郵便局の窓口ぐらいなら、粉せるけど、世の中そんな簡単な物じゃないですよね。色々変化球を使いこなして一人前なんですよね。
私の場合、嫁に行って同居した義父がユーママさんのお父様と似ていた。最初は従い、時には言い返す。無理難題を言い始めたら、最後は無視…最悪な嫁ですね(^^;;
2013年09月12日 07:03
うーん、私の場合は、3 ですかねー。

自分もそうだけど、相手も傷つけないように、と思ってしまう。
でも、たまには攻撃したくなる時もあるけど、それはまあまあ、と思って・・・。

反対に主人は、人をものすごく攻撃し、特に相手が、店員さんの場合、それは酷いのですが、それは、まさに 1 かな。

yu_mamaさん、
人って、生まれ育った環境で、性格の殆どが出来ますよね。
お父様の事がかなりの割合で影響されたそうですが、それはきっと良い事があると思いますよ。

その一つはね、無口なこと!
今の世の中、自己主張の人ばかりでしょう。
あまり言葉を出さない人って、今はいないのですよ。

この良さを、yu_mamaさん、ご自分に認めてあげてください!!
2013年09月12日 11:50
な~るほど。 私は1.が多いに入っている3.かな? と。 人を多いに許してしまうタイプで仕事面ではこれでは良くないかなとは思います。店主はメチャクチャ2.タイプ。 尋常ではないくらいなので無視しています。いつもどんな家庭環境で育ったのだろうと疑問に思っています。
上手に3.タイプを実行できる人はなかなかいませんね~ 
私はモヤモヤ気持ちを発散させるためブログを始めました。とは言え感情をすべて晒せるわけではありませんが。 そんなモヤモヤ気持ちを読むのもちょっと楽しくないですか? 
yu_mama
2013年09月12日 19:09
パックさま
まあねえ、あの年代には多いタイプなのかもしれないんですけど、我が家は極端でしたからねー。いつも怒鳴られる長女(私)と、まったく怒られない次女。扱いが全然違うのも不満でした。なんか私の存在が癇に障るのでしょう。
で、人間関係がヘタクソな原因を父の所為にしている私も私なのですが、いつまで経っても父の呪縛が解けず・・・それでいて父と似ている部分を自分の中に見つけて落ち込むわけです。
自分の主張を正当に伝えることの難しさを感じ、大勢の中では ほとんど意見を言えない私です。自分に自信がないというのもあるんですけどね。1対1でのやり取りでも、適切な言葉が浮かばないことが多くて、後で「ああ言えば良かったー」と、もやもや残ることがあります。
まあ、誰にもそういうことってあるのでしょうけど。
2013年09月12日 19:10
いやぁ~難しい話でした。う~ん・・・私は1でストレス溜めこんで、2に変身して自爆する?3になりたいと思いつつ、人間できてないからなれない。
yu_mama
2013年09月12日 19:22
お啓さま
お啓さんのように、じょうずに色々な方とおつきあいされている方は、相手の気持ちを考えて発言されていて、自分のことよりも相手を優先されることが多いのだと思います。相手も、お啓さんと一緒にいれば心地よさを感じていることでしょう。

いい年して、なんでも父の育て方の所為にするのもどうかと思うのですが、友達と話せば話すほど、自分の育ち方が普通ではなかったことに気付き、因果関係で結びつけようとしてしまうのですよね。ブログに書けないようなこともいっぱいあり、でも、そういうことを話すと私自身が損をするような気もして、またモヤモヤ~って。
無口になってしまうことが良いことなのかどうか・・・自分ではわかりませんが、言っても仕方ないと思っちゃうのですよね。アサーティブな自己表現というのは、「しょうがない」と思ってはいけないそうです。伝えたいことは、きちんと相手のことも思った形で「お願い」という形で話せば良いと書いてあります。それが、なかなかできないんですよねー。
yu_mama
2013年09月12日 19:30
リカステさま
色々な表現の方がいらっしゃいますよね、世の中には。たぶん、相手が攻撃的だと受ける側は黙って自分を抑えてしまうかもしれないですね。ぶつかっても正当な意見交換でない限り、不毛な会話になってしまいますし、嫌な気持ちが膨らむから。で、後で、モヤモヤーを引きずって損した気分になっちゃうんですけどね。
うまく人とつきあっている方をみていると、上手にアサーティブな自己表現をなさっているようです。他人同士と、夫婦や親子関係とでは、また別かもしれませんが、本当は相手が誰であっても、アサーティブな自己表現を実行できたら良いのでしょうね~。なかなか難しいです。
yu_mama
2013年09月12日 19:35
Selfishさま
私にも難しい話でした。人との会話が苦手で、文章で書くなら自分の意志を伝えることはできるのですが、会話ってナマモノでしょ。失敗することが多い私です。言葉の選び方が適切ではなかったり、感情的になってしまって失敗するのです。最初は正当な言い分を伝えているはずが、テンションが上がってしまうと相手の意見を押さえつけて攻撃的に話してしまう! ので、話さない方がいいのかな~って引っ込めちゃって、陰でモヤモヤしております。
あめめ
2013年09月16日 19:48
はぁーい、私もぉ。兎に角何が理由か解らぬうちに殴られて育ったので、「(自分に否が無くても殴られていたので)自分の否を認めようものなら大変な事になる」…という方程式がなかなか抜けなかったので、相手が悪くなくても攻撃的になる、世の中総天敵人生を長く過してしまい、それに気づいた後は自分が情けなく、それをまたカバーしようとして…みたいな悪循環。そんな人生大半を過した後に、今は周囲の方々に大変助けられてはいますが、モヤモヤは多いです。

確かにそういう本は(特に、自己啓発系)、時々良い刺激になることもありますが、本に書いてあることを実行できる人は元々できるし、できない人は「そこの所は解っているのだけれど、できない」というかえってモヤモヤを助長してしまうところがあるように思います。
yu_mama
2013年09月16日 20:06
あめめさま
おっしゃる通り! この手の本を読むと、これを親に読ませたかったという気持ちになりまして、自分が読んでもモヤモヤが膨らみます。アダルトチルドレンの本を乱読した時にも思いました。
飲んでいる時などに、少しだけでもこういう話になると止まらなくなって、周囲の方々が完全に引くという経験もありまして・・・こういう記事を書くと、どこまで書いて良いやらという難しさもあります。
まあ、結局、こういうことを乗り越えた私たちって、偉いね~スゴいね~ってことで、シャンシャンとしておきましょうか。

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