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zoom RSS 1980年代 香港(14)ー生活編ー

<<   作成日時 : 2018/06/13 10:56   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 15 / トラックバック 0 / コメント 4

 今の香港は、日本以上に品揃えの良い日系スーパーやデパートがあり、楽しい暮らしができそうです。東京のスーパーでは見かけないような全国の納豆やヨーグルトが揃っていたり、他国の輸入品も多く揃っているので、麻布や広尾のインターナショナルマーケットか、紀ノ国屋か!? といったワクワク感があります。

 日系スーパーのみならず、ローカルスーパーにも日本食材が多く入り込んでいて、バラエティーに富んだ品物がいっぱいですから、香港のどこに住んでいても日本人には暮らしやすいと思います。
ついでに言うなら、韓国食材も多く入手できます。

 セブンイレブンは、ほとんど日本と同じような感覚で、楽しいワンダーランドです。

 深センにも、そういう流れが来てくれれば良いのですが、なかなか、そうはいきません。

 
 さて、1980年代の香港は、どうだったか!?

 私は、ほとんどローカル生活をしていました。
市場で野菜、豚肉、魚(サワラとマナガツオしか馴染みの魚がなかったので、この2種限定でした)を調達して生活していました。
パンは、ローカルスーパーのクソまずいパンを食べるしかない状況でした。チムサーチョイにあるペニンシュラホテルに出向いて買ったパンですら、パサパサでおいしくなかったのですが、それを美味しいと感じて、たまに利用していました。

 香港島に住んでいる方々は、当時は大丸百貨店(現在のSOGOの近く)がありましたから、そこで日本のものを購入されていたようですが、私の住んでいる地域からは遠足ほどの距離なので、利用することはありませんでした。

 九龍半島側のホテル内に「大和」という日本料理店があり、その店先に、たまーに大根など日本からの輸入野菜が置かれていることがありました。どうせまとめ輸入して余ったであろう大根なのに、1本800円もしていました。
「年に1度くらいは!!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで買った大根が、自宅での鍋パーティーで一瞬にして大根おろしにされて、悲しい思いをしたこともあります。
(なにも全部擦りおろさなくても・・・と、友に恨み節・・・笑)

 私は、 「海外に出たら、その国の暮らし方をすればよい」と、思っていましたので、水浸しでニオイのきつい市場で、籠の中のカエルがぴょんぴょんしていたり、蛇が丸くなっていたり、たらいの中で裸にむしられた鶏が御昇天されているような光景の中、日々の食材を買い求めておりました。

 さすがに、カエル、ヘビ、豚の頭、、、、などは、購入したことはございませんが、捌きたての鶏レバーなどは、金棒に吊るされた新鮮なものをゲットしておりました。

 こんな生活、嫌ではなかったかもしれません。

 ただ、私のようなサバイバル生活を楽しめる人ばかりではありません。

 世の中には、繊細で神経質でお上品で、市場など「もっての外」、香港の野蛮な暮らしになじめないという方もいらっしゃいました。

 奥様会のメンバーのお一人、 A子さんは、香港島のかなり立地の良い場所にある高級アパートメントにお住まいでした。
大丸にもすぐに行けるところでしたから、日々の食材調達に困ることはなかったでしょう。
当時は大丸のお隣に松坂屋もありました。今の SOGOは、食品以外かなりローカル化していますが、当時の大丸や松坂屋は、日本のデパートそのものでした。

 香港島は英語が通じるところが多かったので、広東語しか通じない九龍半島側で暮らす私たちより、ずいぶんと気も楽だったことと思います。

 彼女は小さなお子様がいらっしゃる30歳をちょっと超えたくらいの年齢でした。お子様の幼稚園つながりでママ友もすぐにでき、私のような子ナシに比べたら、同世代の方達とのランチやティーを楽しむこともできたようです。
 
 A子さんのご主人は会社のトップですから、私のように上司の奥様に振り回されることもありませんでした。

 どこに出かけるにもカンパニーカーを利用なさっていて、私たち庶民のように二階建てバスやチンチン電車で汗を流し流し出かけるなどということもなく、文句のつけようのないセレブ生活をなさっていたと思われます。
ご想像の通り、深窓の令嬢と呼ぶべき色白の美人で、その点でも色黒の私とは大違いでした。

 A子さんは、しょっちゅう日本に帰り、なかなか香港に馴染めない様子でした。奥様会にお声をかけても、日本に帰国中でいらっしゃれなかったことがほとんどで、私は2度か3度しかお会いしたことがありませんでした。

 ご主人は奥様をとても大事になさり、毎週末、ホテルの高級寿司割烹にてお食事をなさって、A子さんのストレス解消を試みていたようです。
あの店、海に面したホテルの一番良い場所にありましたから、香港の夜景を見ながら高級料理がいただけるようです。
。。。私は、知りませんけどね。

 香港はブランドショップが多くあり、すべてが免税でした。
A子さんが身につけていらしたものは、ハイブランドのものばかりとお見受けしました。
私は、ブランドショップの入ったペニンシュラホテルの横から二階建てバスで家に帰っていました。
どうでもいい情報でした。

 A子さんのご主人さまは、2年か3年香港にいらしたのだと思いますが、A子さんは3分の2ほどは日本にいらして、ほとんど駐在妻とは呼べなかったと思います。が、ブランドや毛皮については、よくお店をご存知で、私が帰国する時には、彼女から毛皮の店を紹介され、流れから毛皮のコートを買ってしまいました。
今では、どう処分して良いかわからぬ厄介なものとして、クローゼットの場所ふさぎになっておりますけど・・・。


 どんなに便利で恵まれた環境にあっても、ホームシックにかかり、なかなか現地に馴染めない方というのは、本当にお気の毒です。当時はノイローゼという言葉でまとめられていましたが、海外生活には、時々そのような精神的に追い込まれてしまう方がいらっしゃいます。

 会社の事前研修で

 「最初の1年は、帰国をしてはいけない」
と教えられました。

 その時には、意味もわからず、ただ厳しいことを言うな〜と思いながら聞いておりましたが、これは大事なことなのだと、今なら理解できます。それは、深センに着任した当初のブログにも書いたことがありますが、現地に馴染む前に日本に帰ってしまうと「里心」がついてしまうからです。なかなか現地に馴染めなくなるものだと、今の自分が実証しております。

 当時の香港は今の時代とは違いますから、広東語だらけの生活現場、今ほど洗練されていない土地、人々、日本との繋がりがプツンと切れた場所に置き去りにされた感が強く、被害者意識をもとうと思えば、とことん自分がかわいそうになる状況にありました。

 
 A子さんと私の違いは、どこにあるのでしょう。

 同じ時代の香港にいながら、どうひっくり返っても、彼女の方が便利で恵まれた生活環境にありました。

 それでも、私は香港生活をそれなりに楽しみ、彼女は病んで日本の方しか向けなかったという、この差は、どこから出てくるのでしょう。

 ただただ、繊細さと図太さの違いだけなのでしょうか・・・。

 たぶん、生まれ育ちが違うのでしょうね。



 私は、「野生の猿」出身で良かったと思っています。

 

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
私は海外生活の経験がありませんが、寮生活を思い出してしまいました。
若い学生で、試験に必ず面接もあったので寮生活に馴染めるかも先生方も見ていたと思うのですが、中には寮に馴染めない学生もいらっしゃいました。
ただ、ユーママさんがおっしゃっているように新しい環境を受け入れる前向きな姿勢が大切なのかなと思いました。
パック
2018/06/14 07:11
Aさんは普通の人だったのでしょう、普通よりは甘やかされて育った方かもしれませんね。yu_mamaさんはお父さんで苦労されていたから、少し強かったのでしょう 人間どこかで帳尻が合うようになっているのかも知れませんね。
サヤ侍
2018/06/14 09:14
パックさま
おはようございます
親元を離れ、寮での集団生活は、きっと大変なんだろうな〜と思います。
私の高校にも寮があり、全国から学生が来ていました。彼女たちの暮らしの様子を聞くと、私には想像できないような苦難があったようです。寮生活の様子は、昔々、朝ドラで再現されていたのですけど、、、なかなかの女子寮だったようです。

今の私は年齢からくるものなのか、ちっとも深センの暮らしを前向きに捉えることができていません。が、まだ若かった1980年代の香港生活は、人間関係を除けば、なんの問題もなく、いえ問題はいっぱいあったものの、それらを笑って文句を言いつつ受け入れていたところはあるかもしれないです。好奇心かな〜。新しいものを吸収する能力が若い時には、あったのかな〜。

今の自分の置かれた環境を悪いとは思っていませんが、若い頃の方が、もっと積極的に馴染んでいたかもしれないな〜と思います。
yu_mama
2018/06/14 10:14
サヤ侍さま
さすがでございます!
図星でございます!! (笑)

サヤ侍さまには、見抜かれていますね。その通りだと思います。
彼女は普通以上に繊細なセレブだったのは間違いありませんが、私は打たれ強い野猿ですから、どんとこい!だったと思います。
ソウルにいた頃にも、彼女に似たようなタイプの方がいらっしゃいました。ランチ会にご一緒する時、私と待ち合わせの場所までご主人が会社を休んで送っていらしたのには、おったまげたことがあります。こういう過保護な奥様が時々いらっしゃるものなのですね〜。

私は当時も現在も、父から物理的に離れていることだけで「御の字」です。
yu_mama
2018/06/14 10:22

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